かつてジーザス・クライストだった男・イアン・ギランが音楽活動四十周年を記念して、自身の膨大な貯蔵庫から適当に選び出した楽曲を新録して収めたアルバム「Gillan’s Inn」。どうもここ日本ではイアン・ギランの人気ははなはだ低く、まるでリッチー・ブラックモアをDEEP PURPLEから追い出した悪玉のように呼ばれ、ここ数年の歌唱力のとてつもない衰えも手伝って、その評価もうなぎ下り(笑)の様相。もはや私の耳には、イアン・ギランを擁護する声は全く届かなくなって久しい。イアン・ギランって、そんなにダメですか?あぁそう。ダメなんだ(笑)
イアン・ギランはジャベリンズ(ムーンシャイナーズでもいいけど)なるセミ・プロ・バンドからヴォーカリストとしてのキャリアをスタートさせ、エピソード6に加入してプロ・ミュージシャンの道を歩む事になる。この英国中堅ポップ・ロック・バンドは60年代中期に9枚のシングルを発表するも、チャート的には全く成功せずに終わってしまった。イアン・ギランはオリジナル・メンバーではないものの、メンバー内唯一の作曲家であったベースのロジャー・グローヴァーと曲作りを始め、その後バンドに加わったドラムのミック・アンダーウッドと共に後期エピソード6の要となり、バンドは徐々に形を変えつつあった。そこへ舞い込んだのがDEEP PURPLEへの加入話であるのだが、リッチー・ブラックモアとかつてアウトローズで共に活動していたアンダーウッドがその橋渡しをしている事からも、バンドとしてはもはや袋小路に嵌まり始めていたと見ていいのだろう。ソングライター・コンビが抜けてしまったバンドは、ジョン・ガスタフスン(後にギラン、ロキシー・ミュージック等で活動)とピーター・ロビンソン(後にブランドXやフィル・コリンズのバンドで活動)を加えてしばらくは活動するも、あっけなく解散してしまう。ちなみに、アンダーウッドとガスタフスン、ロビンソンの三人がエピソード6解散後に結成したのがクォターマスだが、それはまた別の話。
DEEP PURPLEについては、今更何を言う事もないわけで、とにかくイアン・ギランはどでかい成功を掴む事になる。「DEEP PURPLE IN ROCK」は、現在も脈々と流れるハード・ロックと呼ばれるジャンルの礎になるアルバムであり、ギランという野獣と黒衣の男の見事なマッチングで、ハード・ロックの醍醐味を芳醇に味合わせてくれる名盤として現在もなお売れ続けているアルバムの一枚だ。この中の一曲「Child in time」が、ギランにもう一つの道筋を見出す。「キャッツ」「エビータ」「オペラ座の怪人」と、現在では泣く子も黙るミュージカル界の巨人アンドリュー・ロイド・ウェーバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」のジーザス・クライスト役という大役の話がそれだ。ギランは舞台、そして映画でのクライスト役も望めばその手にしていたわけだが、ここではオリジナル・レコード盤への参加のみに止まっている。この時のギランの歌声は、ウェーバーの輝かしい全記録を収めたBOXセットでも聞けるので、興味のある方はぜひ耳を傾けて欲しいものだ。ギランのヴォーカルは豪快で野性的であり、実に見事というしかない。「ジーザス・クライスト・スーパースター」という曲は、ギランの為にある曲だと言っても過言ではあるまい。この時点では、ギランはDEEP PURPLEにこそ魅力を感じていたわけで、実際ウェーバーに対する印象もよくはなかったようだ。ギランの血が、だくだくと身体を流れるロック馬鹿の血が、ウェーバーの洗練されたロックもどきの音楽にNOを突きつけたのだから、実に爽快だ。余談だが、ギランには後に「エビータ」への参加要請も舞い込んでいるのだが、これも当然のように断っている。ギラン恐るべし。まさに天才と馬鹿は紙一重である。
自分の道は自分で切り開くとばかり、DEEP PURPLEのフロントマンとして傍若無人の未来を描いていたギランではあるが、思わぬ所に人生最強の敵が潜んでいたのに気づくのはもう少し先だった。昨日の友は今日の敵。リッチー・ブラックモアという男の捻じ曲がった性格と、イアン・ギランの無茶苦茶振りに折り合いなどつくはずもなく、DEEP PURPLEは人気の頂点を目の前にして戦線離脱を余儀なくされる。ギランは脱退を決意し、最後の日本公演での{The end,Good bye}の声は、悲しくも切ない響きとして心を打たれる。ここ日本において絶大な人気を獲得しているリッチー・ブラックモアの言い分ばかりが正当な意見として取沙汰されているのは、大きな間違いだと私は敢えて言いたい。このブログ内で何度も言及している通り、私はリッチー信者の一人ではあるが、リッチーが言っている事は多分にその場限りの思いつきや感情に大きく左右される行き当たりばったりの発言がやたら多いと感じる場面が結構ある。リッチーの発言は、本来鵜呑みにしてはいけない部分を多分に含んでいるのだ。リッチーは何故あれほどギランを毛嫌いするのか?(または毛嫌いする振りをするのか?)それはリッチーにとってギランが、畏怖すら覚える唯一のヴォーカリストであるからなのではないだろうか?ロニー・ディオにしろ、カヴァーデイルにしろ、ジョーにしろ、歴代のリッチーの相棒で、リッチーが一目置くヴォーカリストは皆無と言っていいだろう。生涯只一人の仇敵、イアン・ギランはリッチーの中でも間違いなく別格であり、当然語気も熱気を帯びて当然なのではないか?DEEP PURPLE再結成のヴォーカルはギランでなければ意味がないと言い切ったリッチーと、あいつはメロディーが歌えないと一方的に壁を作って解雇に陥れたリッチーの二つの相反する心の中には、部外者には計り知れない葛藤が隠されているはずだ。愛すれば愛するほど、憎しみはとめどなく増加していく。もしかしたらリッチーは心の中で確信しているのではないか?イアン・ギランのいないバンドで、ハード・ロックなど演っても意味はない。
DEEP PURPLE脱退後、実業家への転進を図ったギランではあるが、ロック・スターがビジネスマンとして成功するわけもなく、イアン・ギラン・バンドとして再びスポットライトの下に立つ事となる。皆が期待する音とはかけ離れたインプロビゼイション主体の当初の音楽性は、ギランの心を映し出す苦肉の策だったのではないだろうか?DEEP PURPLEを脱退した男が、ストレートなハード・ロックなど出来るものかという意地のようなものがひしひしと感じられる。しかしそのような気持ちが長く続くはずもなく、イアン・ギラン・バンドは徐々に自身のホーム・グラウンドへの回帰を目指す。「Mr.Universe」はバーニー・トーメというメタル・ギターリストを加え、全英チャートのトップ10に切り込んでいく。続くアルバム「Glory Road」はバンド名もGILLANと改め、僕達のギランが帰ってきた。本国イギリスではリッチーと同等もしくはそれ以上の人気を持つとも言われるギランの言葉通り、GILLANは名盤「Future Shock」で全英チャートの頂点に立ち、レディング・フェスティバルの常連としてロック・シーンに着実に地盤を築きつつあった。この頃バーニー・トーメと袂を分かち、GILLANに新たに加わったギターリストがヤニック・ガーズ(後にアイアン・メイデンに加入)であり、その演奏スタイルはリッチーの影を強烈に感じさせるものだった。この時イアン・ギランが求めていた思いは何だったのだろう?かつてロニー・ディオとグラハム・ボネットが、イングヴェイ・マルムスティーンを熱望した気持ちと、見事にオーヴァー・ラップしないだろうか?リッチーへの思い。あの素晴らしい瞬間をもう一度。思い出とは時と共に都合よく美化されていくものだが、リッチーを知るヴォーカリストはリッチーの影を追う宿命を背負わされるようではないか?「Magic」はGILLANのアルバムの中でも最も充実した内容であったにも関わらず、ギランののどの不調を理由にあっけなくバンドは解散。ジョン・マッコイ他メンバーの怒りはごもっとも、何故ならそれが本当の理由ではない事を彼らはうすうす気づいていたはずだからだ。あの男ともう一度演りたい。ギランは恋する乙女だったに違いない。可愛いぞ、ギラン。
しかしギラン主導のアプローチは、王様リッチーの気分を害してしまったようだ。ギランは行き場を失うが、捨てる神あれば拾う神ありという世の流れに沿うかのように、ビッグ・バンドへの道が示される。イアン・ギラン、Black Sabbathに加入。これには思わず笑ってしまった人も多かったのではないだろうか?私はこのメンバーでの唯一のアルバム「Born Again」が大好きなのだが、音の酷さもあってSabbathファンにもロック・ファンにもとにかく評判が悪い。しかしここでのトニー・アイオミのギターは、彼の生涯の中で最もおどろおどろしくひたすらヘヴィであるというのは、私の勝手な思い込みではないのではなかろうか?皆がSabbathに抱くイメージに、実は最も近い音がこのアルバムにおけるアイオミのプレイなのではないだろうか?トニー・アイオミ、素敵です。
リッチーとギランの相思相愛の結果が、DEEP PURPLE再結成第一弾「Perfect Strangers」を聴き応えのあるアルバムとして世間に訴えかけた。時はNWOHMの中、バンドはひとまず景気よくシーンに迎え入れられる。このアルバムは一言で言えば、リッチー主導によるPURPLEアルバムであり、以後一枚毎に主導権が行ったり来たりするのが、リッチー脱退までの再結成PURPLEの受け止め方としては正しいと思われる。これは実はオリジナルのPURPLEのアルバム製作と全く同じ流れだ。王様リッチーの、自分が重宝されていないアルバムはぼろくそ言いたい放題という図式も全く同じ。リッチーの意見が世間の評価に直結する悪循環もまた同じ。ロック・スターは人間として成長しない生き物である事が、儚く証明されている。リッチーが見向きもしないアルバムには、実は名曲が少なからず存在していると思う私のような輩には、これは少々悲しい現実だ。そして、その中には{ギランここにあり}的な楽曲が目白押しだったりする。相思相愛でありながらも水と油でもあるこの二人は、悲劇を演出する為に出会ってしまったハードなメロドラマの主人公であるかのようだ。
この当時、PURPLEと平行してギランは独自の活動も続けている。ギラン&グローヴァー名義の笑うに笑えない「Accidentally on purpose」は、ギラン史上最大の駄作だが、それでも私はその内の何曲かは十分楽しめた。IAN GILLAN名義の「Naked Thunder」とGILLAN名義の「Toolbox」の二作は、個人的には割りと満足しているし結構聴いていた記憶がある。そこにリッチーがもたらす魔力は当然存在しないが、ギランを楽しむにはなかなかの代物だ。その後のソロ作にしてもリッチー抜きのDEEP PURPLEにしても、どれもこれも大した作品でないのは認めるが、イアン・ギランの魅力は私の中で消える事はない。ステージ上の歩く野獣。その独特の声、独特のシャウト、独特のユーモア、独特のいやらしい笑い方。どこまでもアホであり、どこまでもロック馬鹿であり続けるこの唯一無二のヴォーカリストを、どうして避けて通る事が出来ようか?イアン・ギランは、いついかなる時もイアン・ギランである。この一見単純で当たり前に見える事が、実は実践出来ないのが人間なのだという事実を、私達は忘れてはいけないのではないだろうか?
「Gillan’s Inn」には、実にたくさんのミュージシャンがお祝いに駆けつけている。DEEP PURPLEは、今やギランの家族のようなものだ。盟友ロジャー・グローヴァーはもちろん、ドン・エイリー、イアン・ペイス、スティーブ・モーズのみならず、元PURPLEからジョン・ロードとジョー・サトリアーニが顔を揃える。ゲストもまたゆかりのギターリストが嬉しい。スティーブ・モリス、トニー・アイオミ、ヤニック・ガースはもちろん、ジョー・エリオットにウリ・ジョン・ロート、ジェフ・ヒーリーも元気そうで何より。皆が素晴らしい演奏をリラックスした中で聞かせてくれる。ディーン・ハワードの名も、私にとっては重要だ。あの中野サンプラザを私は一生忘れないよ。ある意味恋敵のロニー・ディオの参加もある。かつてDEEP PURPLEのコンサートでRainbow in the darkを気張って歌い上げたあの姿は、実に偉大でした。このアルバムにはDVDが付いているわけだが、このDVDがまたしょうもない代物で、そのあり得ないしょうもなさを確認する為にも、ぜひ皆様大枚はたいて買って見て下さい。その怒りの先には、ほんのごく短い間の至福の映像が隠れていたりします。ちなみにジョー・サトリアーニ在籍時DEEP PURPLEのライブも二曲ほど収録されていますが、これがまた(笑)酷い代物で、もっと良いものは探せば世の中ありますよ、みなさん。
もはや常識の範疇として、このアルバムにはリッチー・ブラックモアは参加していない。リッチーがギランに何らかのアクションを取る事は二度とないのだろう。リッチーにとってはイアン・ギランというヴォーカリストは意識の奥深くにしまい込まれ、今ではインタビューの合間のお約束として笑いのネタにするだけの存在になってしまった。イアン・ギランがリッチーを呑みに誘うのも、これまた考えづらい。ギランは意地でもリッチーに尻尾を振る事は許されない星の下に生れているのだから。しかもDEEP PURPLEを世界と考えるなら、結果的にはイアン・ギランが勝者であり王様なのだ。人の歴史の面白さを垣間見せてくれる一瞬ではないか?今ではイアン・ギランこそがDEEP PURPLEなのだ。その事は別段不思議でもなんでもない。何故なら、イアン・ギランはロック馬鹿であり、DEEP PURPLEというバンドを心の底から愛している世界一のヴォーカリストなのだから。その愛が何を求めているのかは、私達は実はよく知っているはずなのだ。
「Gillan’s Inn」のレコーディングに、もしイアン・ギランがリッチー・ブラックモアに{一曲さらっと弾いてくれよ、ウハハのハ}と呼びかけていたら、どうなっていたと思います。私はきっと、誰もいない日をわざわざ選択して、リッチーはさらっとソロを弾きに来ていただろうなと、実は思うのです。そういう関係なんですよ、リッチー・ブラックモアとイアン・ギランは。現実とは真実を映す鏡ではない。それは、あなたと誰かの関係でもあるのでしょうね。
「Gillan’s Inn」 2007 イギリス
出演 イアン・ギラン
ギランゆかりの凄腕ミュージシャン達
ジョージ・ハリスンは世界一幸運なギターリストであり、と同時に世界一不幸なミュージシャンでもあるわけだ。
彼が生涯ミュージック・ビジネス界の第一線で作品を大した苦もなく発表し続けられたのは、間違いなくTHE BEATLESという看板あってのものだろう。その人柄でミュージシャン仲間に愛されたのも、結局は元ビートルズの一員という肩書きが威力を持っていたのは否定出来ない。生涯の大親友であるエリック・クラプトンにしても、ジョージの最初の妻であるパティを巡る愛憎劇などが結果的に深い絆を生んだと言っても過言ではないのではなかろうか?エリック・クラプトンが、ミュージシャンとしてジョージに一目置いていたとは考えにくい。客観的に言えば、ジョージ・ハリスンぐらいの才能は当時のイギリスには腐る程いたのだから。
ジョージのギターテクニックについて、日本において三大ギターリスト(何を根拠にしているのかは定かではないが)と呼ばれている方々が当時コメントを残している。ジミー・ペイジ曰く「ジョージのギターは冗談みたいなもんだ」、ジェフ・ベック曰く「ビートルズのギターは僕が弾くべきだった」、エリック・クラプトン曰く「ノー・コメント」と、にべもない。実際、後期のビートルズにおけるナイスなギター・プレイを取り上げてみても、弾いているのはクラプトンであったり、ポールやジョンであったりするわけだ。では、ジョージはビートルズに不必要なメンバーだったのかと問われれば、こと音楽的な面に限って言えば、私は全くその通りであると思っている。ジョージ・ハリスンがビートルズに提供した曲を全て取り除いても、ビートルズの評価は変わらないに違いない。人間関係としてはどうだったのか?と言われても、それは何とも言えないわけだ。ジョージとリンゴだからこそグループは成立したとも言えるし、もっと技術的に優れたミュージシャンがジョンとポールを支えていれば違った作品が残されていたのだろうが、それが現在ある成功を収めていたとは限らないだろう。人間関係の亀裂がグループの解散を早めるのは、歴史上証明されつくしているし、集まった個々の才能が高ければ高いほどエゴは飛躍的に高まるのも事実だ。そしてもう一つ人間の心理を考えると、ジョージの存在は微妙にビートルズの人気を影で支えたとも言えるに違いない。ずば抜けた才能を持ったポールとリーダーとしてカリスマ的存在であるジョン、コメディアンとしてのリンゴが人気を集めるのは必然だが、最も普通で目立たない男ジョージというのも、人間には必ずある{支えてあげたい気質}を大いに刺激するのに役立ったのはやぶさかではない。ビートルズを語る時に、実はジョージほど親近感をファンに持たせる人物はいないわけだ。誰からも愛されるジョージ。それは必ずしも音楽家としての才能には直結していないというのが、私の偽らざる意見なのだがどうだろう?
ビートルズが解散して、最初に頂点を極めたのはジョージ・ハリスンだった。面白い事に、これもまた事実である。アルバム「All things must pass」は、ジョージの仕事の中でも間違いなくてっぺんに位置しているに違いない。その後も堅実に作品を世に送り出し、自身のレーベルを立ち上げ、映画のプロデュース業にも手を出した働き者のジョージ。けれど、作品の質自体は、一向に上がる気配もなく、ただだらだらと流出していた印象が私にはある。個人的には「Blow Away」という曲がお気に入りで、一時期やたらめったら聴いていた記憶があるが、それもアルバム「慈愛の輝き」自体が好きだったわけではなく、あくまで曲単体で気に入っていただけのことだ。ちなみにもう一曲カヴァーソングの「Set on you」も好きだったなぁ。この二曲が、ジョージのソロ・ワークスの中で私の心を捉えた全てではなかろうか?普通ならば二曲あれば十分だろうとも思うのだが、新作が出る度に作品に耳を通してきた私としては実にもの足りない。つまる所、私もジョージ・ハリスンが好きなのだろうと思うわけだ。だからついついどこかで期待していたのに違いない。今度の新作は評判がいいとか思いつつ、聴く度に小さな失望感を覚えたりして、{まぁジョージだからこんなもんか}と自分を慰めたりしていたわけだ。そして、それはやっぱり才能に対する愛ではないのだろう。
「コンサート for ジョージ」には、いつものメンバーが賑やかに顔を揃えている。発起人のエリック・クラプトンを筆頭に、ジェフ・リンやトム・ペティといったウィルベリーズの面々、リンゴとポール、60年代からの音楽仲間達の元気な姿も見られる。ジョージと言えばインドというわけで、ショウの目玉としてインド音楽の演奏なんかも披露されたりしている。ジョン・レノンも生きていれば喜んで参加(もちろんヨーコ込みで)したのだろうなぁ。{なかなかジョージもいい曲書いてるよね}なんて思ったり思わなかったりしつつ、淡々と時は過ぎラストには全員揃っての「While my guitar gently weeps」という何かお約束的な展開で幕を閉じる。私の頭に去来した思いは、{う〜ん、何かもの足りないんだよなぁ}でした。
かつて1971年8月1日に、ニューヨークはマジソン・スクエア・ガーデンで行われた難民救済コンサートを憶えているでしょうか?ラヴィ・シャンカールの要請に応えて、ジョージ・ハリスンが行った伝説の「バングラデシュ・コンサート」ですが、あれを思い出した人はたくさんいるのではないでしょうか?あれからもう随分と月日が流れているというのに、世界は何一つ変わってはいないような気もします。というか、事態はますます複雑かつ深刻になっていると言った方が的を得ているのかもしれません。それはそれとして、現在このコンサートもDVD化されて、もはや伝説と呼ぶにはお手軽になってしまいました。その後のジョージのアルバム同様、結構豪華なメンバーが揃いも揃ったりのコンサートで一見の価値はあるのかと思います。エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、リンゴ・スターなんていう面々は、もはやジョージとは切っても切れない関係なんでしょう。ラヴィ・シャンカールにせよ、「コンサート for ジョージ」と見事に被ります。リンゴの最初のヒット曲「It don’t come eazy」とか聴けるのもお得感満載です。これは間違いなくリンゴの一世一代の曲であり、ビートルズ・ファンにはたまらないですね。レオン・ラッセルやジェシ・エド・デイヴィスも忘れられません。バッド・フィンガーなんて、ファンには涙ものでしょう。みんなステージ上でバクバクと煙草をふかしているのも時代を感じさせてくれましたよね。出演予定だったジョン・レノンが発作で辞退してしまったり、ポールも条件つけて結局参加しなかったりというケチもつきましたが、半隠遁生活状態のボブ・ディランの夜の部での参加で帳消しという所でしょうか?最近再見して、妙にしみじみしてしまったのですが、これを最初に観た時の私の感想が{何かもの足りないなぁ}というものだったのを思い出しました。
結局、私にとってのジョージ・ハリスンは、いつだってもの足りない存在のようです。何故なんでしょう?繰り返しになりますが、要するに私もまたジョージ・ハリスンが好きな人間の一人なんでしょう。永遠の物足りなさ。それは永遠の愛でもあるわけです。
「コンサート for ジョージ」
出演 エリック・クラプトン
他 ジョージゆかりの音楽家達
これまで観てきた映像作品の中で、もっとも心に残っているものは何か?と訊ねられれば、それは多分「Riverdance」の1996年ニューヨーク・ラジオ・シティ・ホール公演を収めた作品ではないだろうかと思うのだ。私は元来舞台というものが大嫌いであり、やはり映画の世界にこそ喜びを見出す人間であるわけだが、このVIDEOだけは別格である。1998年に購入して以来このVIDEO(残念ながらDVDではないんだな。DVDでも発売されているでしょうから、これから買う人はDVDで買いましょう)を何回観なおした事だろう。その度に馬鹿みたいに鳥肌たてて感動してしまうのだから、いやはや私も相当に進歩のない人間であるようだ。
1994年の誕生から随分と変化を遂げたこのリヴァーダンス・プロジェクトだが、その年月の間にはいくつもの映像作品を産み落としている。10周年を記念したベスト物から、その軌跡を追ったドキュメンタリー作品もあるわけだが、やはり一つの公演をまるまる収めた作品こそが一番のお薦めになるのは間違いないだろう。94年のオリジナル版を皮切りに、95年のダブリン・ポイント・シアター版(プリンシパル・ダンサーは当然マイケル・フラットレーとジーン・バトラー)、前述の96年ニューヨーク版(プリンシパルはコリン・ダンとジーン・バトラー)そして2002年の新装リヴァーダンスのスイス・ジュネーブ版(プリンシパルはブランダン・デ・ガリとジョアン・ドイル)といろいろあるわけですが、誰が何と言おうとニューヨーク版がベストではないかと、個人的には思います。ちなみに私は2000年の来日公演(ブランダン・デ・ガリ&ジョアン・ドイル&マリア・パヘスの面々)を生で観劇しているのですが、生の感動よりもニューヨーク公演のVIDEOの方が素晴らしいと本気で思っています。正直に言うと、映像のみで接していた時の方が、実際の舞台を観た後よりもカブレテいた気がしないでもないです。出来がどうとかアングルがとかいろいろ小理屈は付けられるのでしょうが、それだけ96年のニューヨーク公演が際立っていた結果なのではないでしょうか?新たな曲が付けられたり、構成が変わったり、衣装や舞台に金がかけられたり、当然プリンシパル・ダンサーも次々と変化するわけで、それぞれに一長一短はあるのでしょうが、もはや一つの巨大なショウとして定着してしまったものに、初期の躍動感や緊張感を取り戻すのは不可能なのでしょう。だったらオリジナル・プリンシパルの公演の方がよいのではないか?と言われるかもしれませんが、それはそれ、個人的には95年のダブリン公演版はショウとしての完成度がニューヨーク版よりも劣ると思うわけなのであります。
それにしても、このショウで主役を務めた男女の数はどれだけいるのでしょうか?公演の数が膨大なものであり、現在では世界のあちこちで同時にショウを披露しているわけですから、主役の人数も相当なものであるのは確実です。どうせベストを出すのなら、一回でも主役をはった人物全員にスポットを当てたものなんかを作っては頂けないものでしょうか?アイリーン・マーティン嬢のファンである私なんかは、一度でいいから一曲通して彼女の晴れ姿を見たかったわけです。ジーンやジョアンはもういいから、って気分にみなさんならないですか?まぁそれだけ繰り返し観てしまって飽きがきたともいえるのではありますが、それにしてもあっちでもこっちでもチラチラしか映らないアイリーン様、癖になりますね。素敵です。
リヴァーダンスというからにはダンスが主役なのではありますが、この舞台にはもう一つの魅力があります。それがリヴァーダンス・オーケストラであり、リヴァーダンス・シンガーズの存在であります。特にオーケストラの一員には、当初アイルランドでの名うての演奏家達が多数参加していたわけで、それだけでもアイリッシュ・ミュージックに傾倒している者にとっては夢のような時間に耳をそばだてる機会を得る絶好の瞬間だったわけです。実際ダンスよりも演奏に心惹かれた人もいるでしょう。実を言うと私もその一人です。ダンスだけだったら、多分一回観て終わりだったと思います。ニューヨーク公演でのフィドル奏者アイリーン・アイヴァースの存在なんかはその最たるものでしょう。私もついついアイリーン・アイヴァースのアルバムとか買っちゃいましたからね。それと映像では出てきませんが、オリジナルのCDではマーティン・オコナーがアコーディオンを弾いていたりするわけで、デ ダナン命の私なんかはわけもわからず興奮したりするわけです。
リヴァーダンスの音楽を手がけたのはビル・ウィーランなわけで、ビルの経歴として一つだけピックアップするとすれば、やはりプランク・シティへの参加になると私なんかは思うわけです。リヴァーダンスの音楽というのは、単純にアイリッシュ・ミュージックであるとは言えない多様性があるわけですが、少なくともプランクシティ参加時にビル・ウィーランがアイルランドの伝統音楽にどっぷり浸かったのは間違いないでしょう。リヴァーダンスの音楽の素晴らしさの根底に伝統的なアイリッシュ魂が潜んでいるからこそ、世界中に広まり根付いたアイリッシュの末裔達の心を鷲摑みし、しいては世界を市場にした巨大なビジネスの礎になったとは言い過ぎでしょうか?
日本ではエンヤやU2がそれなりに人気を博してはいるが、それらはアイリッシュ・ミュージックとはいささかかけ離れてしまっているものだし、少し前にはアイルランド・ブームの兆しもあったのですが、本格的に市民権を得るまでには至っていないようです。リヴァーダンスもまた然り。好きな人だけだ盛り上がっている感は否めません。ギネスを片手に、デ ダナンやパトリック・ストリートやドーナル・ラニーについてどうでもいい事を口走って「アイルランド賛歌」を皆で歌うという私の夢は、まだまだ実現するには遠い話なのですね。非常に残念です。リヴァーダンスがその入り口になるというのも、もう何度も来日公演を慣行している事実からして既に期待してはいけないのでしょう。
2008年の春に、リヴァーダンスの来日公演が決まっているようなのですが、今回は大した話題にもなりそうにありませんね。チケットは売れるのでしょう。熱烈な固定ファンというのは、実際どこにでもいるものです。特にリヴァーダンスの魅力にとり憑かれたら最後、死ぬまで忘れられない中毒症状にかかったようなものです。この作品はそれだけの力があるし、魅力に溢れていると断言出来ます。
どんな優れた名画も到達しえない次元の作品として「Riverdance live from New York City」は特筆に価する作品です。「ベスト・オブ〜」とかジュネーブ公演とかはマニアの方以外は観る必要がありません。来日公演はお金に余裕のある人が楽しみましょう。どうせチケットは一万円以上すると思われます。とても高いです。そんだけ高いと、素晴らしい作品を観られたとしてもどうしても遺恨が残ります。たかだか1800円でも酷い映画を観てしまった後の落ち込みは想像を絶します。私はどうしても躊躇してしまいますね。だって、ニューヨーク公演という最高峰の作品が既に手元に(VIDEOだけで)あるわけですから。それでも観にいってしまうのかなぁ、人間とは懲りない生き物だしなぁ。私も真性のリヴァーダンス中毒患者なのかもしれません。そこには間違いなく十本の傑作映画に匹敵する感動が待っていると、知っているからなぁ・・・
「リヴァーダンス live from New York City」 1997 アメリカ
出演 コリン・ダン ジーン・バトラー
マリア・パヘス
リッチー・ブラックモアの才能が最もいかされるだろう場所として、私はBlackmore’Nightが相応しいのではないか?と、以前書いたような気がする。DEEP PURPLEはクラシックとしてのROCKミュージックの代表的バンドの一つであり、いまだにTVのブラウン管からその響きが絶える事がない。例えそれがDEEP PURPLEの曲だと知らなくとも、日本人はすべからくBurnやSpeed KingやBlack Nightの響きをどこかしらで必ず耳にしているはずだ。知名度が低いとも言われるアメリカにおいても、DEEP PURPLEというバンド名は知らなくても、Smoke on the waterは知られていたりする。それでいいではないか?というのは、本人には承諾しきれない部分なのに違いない。リッチーもかつては(というか、実は今でも)、アメリカで名を馳せたいという欲望を抱えて邁進していた時期もあったのだろう。それはポピュラー・ミュージック・シーンで生きる人間の性でもあるわけだ。腐ってもアメリカこそがショー・ビズの聖地である事に変わりはない。イングランドという古都から新天地アメリカで一旗上げたエリック・クラプトンやジミー・ペイジはおろか、本来格下であるはずのBlack Sabbathにまで追い抜かれてしまったリッチーの心境は筆舌に尽くしがたいものがあるのかもしれない。その思いがROCK史上最強最高のバンドRAINBOWの寿命まで縮めてしまったのだから、人の欲望というのは計り知れない。ルネッサンス音楽にアイデアをもらったある意味スピリチュアルなサウンドを指向したBlackmore’s Nightというプロジェクトは、リッチーの一種の逃げの一手だったとも考えられる。こんなものがアメリカで売れるわけがない。売れるわけがないモノを演っているのだから、売れなくても問題はない。そういう姿勢が、私にはどうしても感じられる。それは何故か?Blackmore’s Nightのアルバムの端々に、まかり間違ってアメリカで売れないかなという欲望の影が見え隠れしているからに他ならない。神も夢を見る。まさにリッチーは、いまだにThe Beatlesやマイケル・ジャクソンに並び立つ存在になるのをどこかで夢見ている少年なのかもしれない。
リッチーの人気は、ここ日本では(ある年代に限って言えば)いまだ衰えを感じさせない。しかしながら、Blackmore’s Nightというバンドの人気という点だけで見れば、衰えどころか無いものと考えられつつあるような気がする。よくは知らないが、きっと新作を出す度に売り上げは確実に下がっているのではないだろうか?現時点での最新作[Village Lanterne」(クリスマス・アルバム「Winter Carols」は当然新作には数えない)において、元RAINBOWのジョー・リン・ターナーを担ぎ出したのもその為だろう。人間とは愚かな生き物である。アルバムを客観的に聴けば、あれがどれほど邪魔な存在であるかに気づくと思うのだがどうだろう?日本という国はやたら特典をつけたがるきらいがあるが、作品としてのバランスを崩してまでボーナス・トラックを無理矢理入れ込むのは果たしてよい事なのだろうか?どうしても入れたい(或いは入れないと売れないのではないかと不安)なのであれば、ディスクを別にするなりしてくれないものだろうか?映画にも同じ事が言える。DVDになってディレクターズ・カット版だの特別版だのとご託を並べて本編を水増ししている作品をよく見るが、長くなりゃいいのか?と誰も思わないのだろうか?カットされたシーンを復活させたりして長くなった事によって作品の質が上がるのであれば、劇場公開の時に入れておかなければダメでしょ。断言するが、特別版だのなんだのと長くなったバージョンが、本来の形よりもよくなった作品なんてほとんどないはずだ。これは単なる金儲け主義の極みでしかない。確かに大好きな作品であれば、長くなった方がより長い時間その作品に接しられるのだからありがたいという気持ちも分からぬわけではないが、それはあくまでもマニア的な楽しみ方でしかない。初めてその作品に接する人だってたくさんいるわけだから、その作品が最良の状態で見られるのが当たり前なのではないだろうか?特別編だなんだというのは、その作品を極端に好きで好きでたまらないマニアの為だけに存在すればよいのだ。監督によっては、やたら自分の作品をつぎはぎするのに余念のない人がいたりするが、あれは潔くないなぁ。過去は取り合えずいいから未来を見ろよと言いたくもなるではないか。そういうのはThe BeatlesとかLed ZeppelinとかDeep Purpleみたいに、もう終わっちゃって後は消えていくだけの人達に任せておけばいいのではないか?「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいに、本来の作品の方が水増しした出来損ないよりも見られる機会が少ないのは、やっぱりどうかしていると言わざるを得ない。おまけが付いたら何でも飛びつくなんて、ただのガキだと言われても仕方がない。ただ、それだけ世の中が細分化してきている表れでもあるのかもしれない。もうDVDとかCDなんてものは、マニアしか買わないのかもしれないなぁとも思うわけだ。楽曲にしろ物語にしろ、基本的な骨組みの部分においては、アイデアはもう出尽くしちゃっているというのが見解としては正しい。そこから何を足してどう表現していくのかが問われているわけだ。ぶっちゃけ映画を語るのなら、チャップリンとヒッチコックを全作観れば、それで映画の全てを観た事になると思っても間違いではないだろう。物事の価値を、どれだけお得であるとか、おまけがいっぱいあるかとかいう点に求めてしまうのは、単純に貧乏人の考え方だ。ボーナスというのは全く予期していない時に突然頂くからよいのであって、日本の会社のように元から年収割の勘定に入っているボーナスというのは、言い換えれば詐欺にあっているようなものではないか?それは何故金持ちは金持ちのままでいられるのかという社会構造の不思議を解き明かす思考であり、ようするに世の中というものは常に金持ちの方が一枚も二枚も上手なのだという事だ。
リッチーは自分の好きな事をしているのだから、今が一番幸せに違いない。という考え方も恐らく間違っていると、私は思う。ライブ・バンドとして超一流の存在であったDEEP PURPLEやRAINBOWに比べるまでもなく、Blackmore’s Nightのライブというのは貧弱だし学芸会的なアット・ホームさばかりが際立っている。曲によっては、こっちが恥ずかしくなるような出来栄えの時が多々ある。リッチーの真価が発揮されるのは常にステージ上だった事を考えると、これは聞き手側から見ても大問題だ。さよう、Blackmore’s Nightは本来ライブ・バンドではない。それは多くの楽曲がCDで聴く方が素晴らしいという一点で言い表せるほど単純明解な事実だ。それでも数は少なくなったとはいえ、ライブに執念を燃やすリッチーの姿を見ていると、これでいいのかリッチー?とどうしても思ってしまうのは否めない。リッチーはライブが好きで好きで仕方がないのだろう。それを思うと、リッチーが心の底から幸せだとは到底思えないというのが、私の推測だ。それでも、私がBlackmore’s Nightが一番相応しいと思っているのには理由がある。ルネッサンスだなんだと気取ってはいるが、Blackmore’s Nightの音楽というのは、基本的にPOPSだという点もその一つだ。それはリッチーの一番好きな音楽の世界でもあるわけだ。そして世にPOPSほど多種多様な音楽が玉石混交している世界はないという事だ。リッチーの柔軟で幅広い音楽性を、十二分に発揮して尚余りある舞台なのだ。賛美歌だろうが、ヨーロッパ各地の民謡だろうが、19世紀の音楽だろうが、今世紀の流行歌だろうが、なんでもござれというわけだ。リッチーにその気があれば、とてつもなく素晴らしいCDが世に出る可能性がここには確かに存在する。
Deep PurpleにもRAINBOWにも名盤と言われる作品が存在する。中でもDeep Purpleの「LIVE IN JAPAN」という二枚組みのライブ・アルバムは、歴史に残る真の名盤に違いない。その価値は、自身の数あるスタジオ・アルバムを圧倒的に凌駕してしまう輝きに満ちている。最高のアルバムがライブ盤であるバンドが、世の中に一体どれほどあるのだろうか?それはそれとして、Blackmore’s Nightには名盤はない。少なくとも今の所は。所詮リッチーの才能はその程度だったという見方も出来るに違いない。ヴォーカルが能力を示す事が出来る許容範囲に問題があると責任転嫁するのも、あながち間違ってはいないのかもしれない。個人的には「Ghost of a Rose」が現時点での最高水準のアルバムだと思っているが、圧倒的な賛美を贈るほどのインパクトがあるとも思えない。それでも曲単体でみると、実は素晴らしい楽曲が各アルバムに散りばめられているとも思うのだ。まぁこの点に関しては、私個人の嗜好に合致しているだけなのかもしれないので、挙げ連ねても意味がないに違いないが・・・。
「PARIS MOON」は、Blackmore’s Nightにとっては二枚目のDVD作品であり、2006年のライブがチェック出来る。このバンドも気づけば十年選手の仲間入りをしたわけで、その点には素直に拍手をしてあげたい気持ちで一杯だ。1997年と2004年のわずか二回の来日公演以外にも、実にたくさんのライブを画面を通じて見続けたバンドの一つでもある。このバンドの真価はヨーロッパでこそ発揮されるわけで、ツアー自体もほとんどが欧州圏でのものだ。それはこのバンドの音楽の根っこに、常にヨーロッパの音楽の歴史が綴られているからに他ならない。音楽というものが慣れであると以前に書いたが、そういう意味ではアメリカや日本には取っ付きにくい部分がバンドの核であるのが、現在のBlackmore’s Nightの日本での受け入れ具合に微妙な影を落としているのも納得が出来る。ルネッサンス音楽に触発された一作目から、ヨーロッパにおけるフォーク・ソングの世界へとシフトを続けたバンドの動向は、欧州の一中堅バンドの姿としてはまことに申し分ないものであった。このバンドが世界のあちこちで一種異端児的に扱われてしまうのは、単にリッチー・ブラックモアがそれだけ一つの世界で名を上げた歴史を持っているという幻想に過ぎない。これはバンドにとっては当然一長一短ではあるが、音楽がどれほど素晴らしくても埋もれて消えてしまうバンドが実に多い現実を鑑みると、とても幸運な事には違いない。一人のギターリストとして、また一人の音楽家として、リッチーがこのバンドで見せてくれた才能は、決して以前のハード・ロック・バンドで見せてくれた才能に勝るとも劣らないものだ。リッチーは退化も減衰もしてはいない。少なくとも私がかつて大好きだったリッチーは、全く変わらずBlackmore’s Nightでも健在だ。音楽の成熟と人気というのは、いつもどこかちぐはぐなものだが、何度も言うが音楽とは慣れなのだ。リッチー・ブラックモアが素晴らしいと思うのであれば、DEEP PURPLEやRAINBOWよりもむしろBlackmore’s Nightの方が、よりはっきりとリッチーの素晴らしさを示す舞台足りえるという私の意見も、あながち的外れではないのではないだろうか?
十年一昔というわけで、2006年のライブのセット・リストは、どこか1997年の初ライブ(もちろん、あの日本公演だ。リッチーには今一度日本という国の貢献に、思いを馳せて頂きたいものだ)のセット・リストがオーバー・ラップしているような気がしてならない。それは7曲というリストの半数が同一曲であるというだけでもないだろう。バンドが着実にDown to earthした結果であると考える方が利に適っている。問題は払拭されてはいないが、バンドは一先ず一つの完成形を見たというわけだ。そこで思うのだが、もうこのような形のバンド公演は、リッチーには必要ないのではないか?と、私は考えるわけだ。このリッチーの音楽の素晴らしさが最も人に伝わるのは、例えば小さなバーの片隅で、ギターとヴォーカルだけでつつましく演奏された時に開花するのではないかと思うのだ。そしてその瞬間をCDに収めた時に、Blackmore’s Nightの名盤が誕生する気がしてならない。それはリッチーの夢を叶える、一つの道になるのかもしれない。可能性はゼロではないのだ。どんなに可能性が低くても、人は諦めては決していけない生き物なのだから。夢が叶う瞬間ほど、人生で喜ばしいものはないのかもしれない。ただし、それは必ずしも幸せの全てではない。本来、人の幸せは、夢を持ってその為に奮闘している道すがらに零れ落ちているものだからだ。人にとって最高の幸せな時とは、夢を手に入れる一歩前の瞬間にこそ存在するのかもしれないと、私は思うからだ。
「PARIS MOON」 2007 ドイツ
Blackmore’s Night
Candice Night (vo)
Ritchie blackmore (g)
Sir Robert of Normandie (b)
Bard David of Larchmont (key)
Squire Malcolm of Lumley (ds)
Lady Madeline and Lady Nancy (vo)
前回、ジョー・リン・ターナーに対して少々軽んじた内容になってしまったので、続きものとしてこの章を捧げる事によってその非礼に答えたい。
ジョー・リン・ターナーがRAINBOWに参加していた時期は、実に3年とちょっとという振り返ってみればあまりにも短い蜜月だった事が分かる。この3年とちょっとの間に、このメンバーは3枚のアルバムを発表し、三度の来日公演を行っているのだから凄い。どんだけこの時期のリッチーに気合が入っていたか、そしてメンバー間の充実度というものが窺えるわけだ。好例のメンバー交代も、ドラマーがボブ・ロンディネリからチャック・バーギへ、キーボードがドン・エイリーからデビット・ローゼンタルへと変わったのみで、最小限のマイナー・チェンジで乗り切っている。リッチーとロジャーを除けば、メンバーの平均年齢は爆発的に下げられたわけだ。それに応じて楽曲もソフトでポップなものへと変化した。この事がロニー・ジェイムス・ディオ時代の重厚でドラマチックな楽曲群がひしめいた時代に慣れ親しんだ人々に、幾ばくかの不満をもたらしたのは想像に難くない。RAINBOWは軟弱になっしまった、というわけだ。
この二つの時期のRAINBOWというのは、実際まったく別のバンドである。過渡期となるグラハム・ボネットの時代があったとはいえ、これだけバンドの姿ががらりと変わってしまう例はそうはない。それはセット・リストを見て頂ければ一目瞭然だ。ロニー時代の名曲の数々は、無かったかのように陰を潜めてしまった。普通どんなバンド(或いはソロ)でも、過去の名曲は時代が変われども長くセット・リストからは外れないものだ。それは一つにはファンが聴きたいと欲している楽曲であり、メンバー本人も愛している楽曲であるからだろう。なるほど欧米のロック・バンドのように、ツアーが長ければそれらの楽曲には飽き飽きするというのは当然の事だ。毎晩毎晩カレーを食っていれば、どんなにカレー好きでもお茶漬けが欲しくなるものだ。けれど観客というものは連日連夜顔ぶれが異なるわけで、メンバーがいかに飽き飽きしていようともそれらの代表曲は演奏せざるを得ない。それがプロフェッショナルたる所以であり、使命であり、仕事なわけだ。では何故、RAINBOWはセット・リストを一新するという断行にあえて踏み切ったのか?それは間違いなくジョーが、ロニー時代の楽曲にそぐわないフロント・マンだった事が大きい。この点については前回のPURPLEで指摘した点と全く同じである。何でもそつなく器用に歌いまわすというジョーの印象は、実はまったく的外れな印象であるわけだ。断言するが、ジョーが生きる楽曲というのは、実はもの凄く範囲が狭いという事実だ。それは歴代のPURPLE及びRAINBOWのフロント・マンが、いかに堂々とした迫力と歌唱力を備えもっていたかの証明にもなるわけだ。リッチーがPURPLEを再度脱退し、ドゥギー・ホワイトを迎えてリッチー・ブラックモアズ・レインボーのプロジェクトを開始した時に、ドゥギーよりもジョーの参加を望む声が多かったのは明らかに誤解が生んだ間違った希望の発露である。その来日公演を見て頂ければ理解出来ると思うのだが、全RAINBOWの歴史から良いとこ取りをしたお祭りのような奇跡のセット・リストだったわけだ。これはジョー・リン・ターナーには不可能な事であったはずだ。ドゥギーとジョーのどちらが優れたヴォーカリストかというのは問題ではない。これは各々の特性の違いである。ドゥギーをして無個性だとか何とかという指摘は間違っている。それはドゥギーが持っていた資質の宿命であるのだから。ドゥギーは真の意味で器用なヴォーカリストなのだ。そしてジョーは、そのイメージとは裏腹の実に不器用なヴォーカリストなのである。けれど自分にあった楽曲に囲まれた時のジョーは、実に素晴らしい。それはジョーが在籍していた時代のライブを観て、或いは3枚のアルバムを聴いてみればその優秀さに舌をまく事だろう。つまるところ、それらの分析はリッチー・ブラックモアが何故凄いかという点を暗に示しているに過ぎない。リッチーが真剣に空気を呼んで解析し、作意を持ってそれらを成したとしたら、それはもう化け物だ。ある程度それは、運命という偶然に左右されている神々による決定事項であったというのが正しい見解ではないのだろうか?リッチーに見出されたヴォーカリストのほとんどが、その後自分のバンドを立ち上げ成功しているのは一体どう説明すればいいのだろうか?ギランを、ホワイトスネイクを、ディオを、アルカトラズを思い出して欲しい。彼らはキャリアこそあったものの、リッチーと仕事をする前は無名であった者達である。類は類を呼ぶ。天才の下には天才が集まる。そうまさに狼は狼を呼ぶ状態だ。そこには間違いなくリッチーの才能の萌芽が見られる。つまり、リッチーは自らの曲づくりの縦横無尽さを駆使して、各ヴォーカリストのポテンシャルを最大限に引き出す魔術師なのだ。自分の能力を自己確認し把握した人物の凄さは、音楽の世界だけには留まらない強さをどの分野でも見せつけてくれる。リッチーによって道は示された。彼らは皆、幸運の兵士なのだ。では何故、ジョー・リン・ターナーだけが大成しなかったのか?残念ながら、それがジョーの個性だとしか申し上げられない。リッチーが隣にいてこそ、ジョーはその翼を最大限に広げられる人物なのだ。その意味で、イングヴェイ・マルムスティーンでは甚だ役不足だ。イングヴェイには他人の力を引き出す能力は全くもってない。自分が一番の人だからだ。技術的に頂上を極めるギターリストでありながら、音楽家としてリッチーに遠く及ばないイングヴェイの姿がそこにある。そしてもう一つ、ジョーにはマイナスの要素がある。それはルックスの良さである。リッチーがジョーを選んだ理由の第一が、そのルックスの良さであるのは明らかだ(笑)。美人は三日で飽きる。美人薄命。世の中というのは実に身勝手なものだが、それが現実なのだから肝に銘じておくべきではないだろうか?
RAINBOWによる「JAPAN TOUR 1984」は、公式にVIDEOとして発売されたジョー在籍時の二本目の作品だ。時代の流れもあるのだろうが、いかにリッチーがジョーのルックスに自信を持っていたかの表れでもあるのではないだろうか?無頓着に無意識にそういう事をしてしまうのが、リッチーの神がかりな部分でもあるのだから。最近ロニー時代のTV映像が突然DVD化されて発売されるというサプライズがあったが、このVIDEOがDVD化されないのはとても不思議な現象だ。VIDEO自体はとっくの昔に廃盤になっているわけで、最近になってRAINBOWを知った人々には、なかなか入手しづらい現状は悲しいものがある。ここに示された16曲のラインアップは、ここまでの文章を見事に体現しているといって過言ではないだろう。申し訳程度にCatch the rainbowがリストに上っているが、過去のRAINBOWとは完全に決別しているのが分かる。あの代表作であり忘れられぬ名曲でもあるMan on the silver mountainすら演奏されていないのだから、その徹底振りには頭が下がる。詳しいセット・リストについては、今回ははぶかせて頂く。どうしても知りたい方は、各自で調べて頂きたい。公式に発表されていたVIDEOなので、そう難しい事ではないだろう。それにしても、アンコールもグラハム時代のポップな曲が2曲とSmoke on the waterなのだから、本当にロニー時代のバンドとは別物であります。ロニー時代のDVDについては以前このブログ内で発表しているので、そちらも合わせて参照して頂ければ幸いです。
「JAPAN TOUR 1984」。このライブは、油が乗り切っているバンドの現状を華々しく、楽しげに活写しているものとして多分に好感がもてる代物だ。平均年齢が一気に若返った事の影響は、各々のメンバーの服装やパフォーマンスから如実に見て取る事が出来る。飛び跳ねるリッチーを見よ。こんなにはしゃいでいるリッチーの姿は、なかなかお目にかかれるものではない。愛しき君がただ横にいるそれだけで、人間はこうも根底から変わってしまう生き物なんだね。PURPLEのライブ映像に見られる、冷酷で無口な孤高の鬼神たるギターリストの姿はここには微塵もない。とにかく衣装ももの凄くお洒落だ。この頃のバンドは、完全にジョーを中心に回っていたのが微笑ましい。リッチーも、そしてロジャー・グローバーまでも実に明るく若々しい。ジョーはフロント・マンとして十分な存在感を示している。幸福な結婚。この二人が、この直後破局を迎えるとは、にわかには信じ難いではないか。しかし現実とはいつもそういうものだ。ジョーの下ではっきりと完成形を見た新生RAINBOWは、この公演を最後に虹を架ける事を止めてしまった。惜しい。実に惜しい。新たな伝説の為に払った犠牲は、取り返しがつかないとまでは行かないにしても、とてつもなく大きかったのは間違いなかろう。夫婦の間は他人にはわからないものだ。端からどんなに幸せそうに見えても、恋人同士の実際なんて二人にしか分からないと、かの浜崎あゆみも歌っていましたしね。
オープニングのSpotlight Kidや、オーケストラとの競演を果たしたDifficult to cureと、見所も豊富な本作ではあるが、やはり最大の見せ場は I Surrender に尽きる。CD化はされているが、この愉悦は映像と共に感じて欲しいものだ。これは歴史に残る名演であり、ジョー在籍時のRAINBOWというバンドの全てを語り尽している。あぁこの至福を、世の中の全ての人に伝える事は出来ないものか?その可能性はゼロではないに違いない。何故なら、それが映像の持つ魔力なのだから。そうではないか?早々にDVD化が実現しますように・・・。全ての人に愛を。全ての人に夢を。そして、全ての人に虹を・・・。あの日ジョー・リン・ターナーは、確かに山の頂に立っていた。
「RAINBOW JAPAN TOUR in 武道館」 1984 日本
RAINBOW
ジョー・リン・ターナー (Vo)
リッチー・ブラックモア (G)
ロジャー・グローバー (B)
デビット・ローゼンタル (Key)
チャック・バーギ (Ds)
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