DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

「大日本人」だよ を思う

  近年の日本映画に足らない物が、確実に「大日本人」には存在するのではないだろうか。とにかく自分のやりたいと思う事を、必死に考えあぐねて形にしようとした監督本人の真摯な姿が、作品として見事に昇華されている。監督本人の言葉として、「何からも影響を受けていません」という件をどこかの記事で読んだ気がするが、その言葉とは裏腹にあからさまに色々な映画の影響が窺えるのも面白い。そう言っといた方が面白いだろ、観れば全く逆であるという事が丸分かりなわけだし、という判断からの言葉であるわけだ。公開まで映画の内容を伏せておくというのも、そういう事が出来る立場の人間である利点を活かしている。それは映画を楽しむ一つの正しいやり方なわけだ。1800円を出して劇場に足を運んでくれる人の為を思うのなら、事前の予備知識なんてない方がいいに決まっている。何もかも丸出しの明るいお化け屋敷なんてありえないでしょ。少なくとも、噂で怪獣映画らしいよと小耳に挟んでから観るよりも、突然何とか獣とかって画面に出て主人公が巨大化した方が{ええぇぇぇぇぇぇ}感は楽しめるわけである。予告編だけがやたらと面白い映画ばかりが増えてしまった昨今、そういう手を使える自信の表れでもあったのだろう。公開後に何かの番組で、「何とか元は取れたみたいよ」と笑う姿も印象的だった。映画を製作した以上、一人でも多くの人に観てもらえなければ何の意味もない。どんなに評価が高くても誰も観ない映画というのは、やはり不幸だ。そして、そう言っといた方が面白いだろ、という判断からの言葉でもあるわけだ。
 かつてジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」の公開を前にして、いてもたっても居られずハワイに逃げ出したエピソードは有名である。自分の最もやりたい事をやりたいように形にして、それが果たしてどういう結果を生むのかという不安は、映画という莫大な他人の金が使われるビジネスでは一体どれほどのプレッシャーを人は感じなければいけないのだろうか?日本の役人のように、税金という他人の金をどんだけ勝手気ままに使いまくろうと誰も心を痛めない状況とは雲泥の差である。「スター・ウォーズ」の結果は言わずもがなだが、ルーカスの挑戦は大成功に終わった。ルーカスは巨万の富を得て、以後「スター・ウォーズ エピソード1」までメガホンを握る(製作は多々あるが)事がなかったわけだ。「アメリカン・グラフィティ」という作品が大好きだった私にとっては、この事実はちょっとした落胆でもある。「スター・ウォーズ」があそこまで巨大なマーケットを形成しなければ、ルーカスはもっともっと様々な映画を監督していたはず(根拠は当然ないですが)だからだ。スピルバーグのような演出力は望むべくもないが、「レイダース/失われた聖櫃」並み(この映画の凄さは実際並みではないが)の魅力溢れる作品をあと一つか二つは生み出していたのではなかろうか?日本国という小さなマーケットだけに限っても、「大日本人」の成功はルーカスのそれと比べ物にならないささやかな物である。それでも何かまた映画を撮ってもいいかなと思わせる程度の成功ではあったのではないだろうか?その事実は私にとっては少なからず歓迎すべき点ではある。
 映画監督に金持ちのボンボンは結構いる。貧乏人が苦労を重ねて大団円みたいな図式を好む嗜好というのは分からなくもないが、芸術家とかなんとか言われる分野ではこの金持ちのボンボンというのが実に多い。そしてとても良質な作品を世に残してくれているわけだ。その恩恵はほとんどの場合、金持ちであろうと貧乏人であろうと分け隔てなく享受される。ビル・ゲイツが{残りの人生を映画製作にのみ邁進します}と宣言してくれないものだろうか?もちろん貧乏人に金を配ってという事ではなく、自らが監督をしてやりたい事をやりたいだけやるという意味である。どうせ老い先長くはないのだから、一銭も残さず一本の作品に注ぎ込むわけだ。さぞかし映画史に残る贅沢な一品が出来上がるのではないだろうか?面白いか面白くないかはさておいて、私はその映画が観て見たいと思う。けれど日本の長者番付の上位にランクされるような人が{全財産を投げ打って映画製作に邁進します}と宣言されても、何となくいい迷惑と思う気がする。この違いはなんなんでしょう?日本人というのは、そもそも日本人を馬鹿にしている民族だという部分に着目が及ぶのではなかろうか?では、そんな日本という国を客観的に見た時に、果たしてどんな世界が想像出来うるのか?その答えに最も近いリアルな映画が、「大日本人」なのではないだろうか?外国人の方々に日本という国を紹介するのにうってつけの映画足りえるのは、今現在この「大日本人」の右に出る映画などまずないだろう。
 その昔、松本監督は一本の短編映画を撮っている。TVの番組の企画だったと記憶しているが、「SASUKE」というその映画はとにかく抜群に笑えたものだ。私はVIDEOに録画して、実際何度も見た。何度も笑った。あれは言ってみれば{映画の体裁を持ったコント}だったわけだ。そして今回、松本監督は{コントの体裁を持った映画}を実現した。「大日本人」という映画は簡単に言えば、くだらなくてダラダラウジウジムニャムニャしているだけの映画であるという言い方も出来るに違いない。とにかく徹頭徹尾幼稚に過ぎるきらいがある。けれどもそれはあからさまに意図的であるという証明でもあるのだろう。この映画に描かれている全ては、現在の日本という国に蔓延するムードとイメージの集合体である。そして肝心なのは、その日本という国に対しての批判でもなければメッセージでもないという点なのだと思う。ただ鏡のようにそこにあるものを映しているだけ。幼稚でキモくてだらしなく弱く優柔不断で自分勝手で曖昧なものいいに終始するが、技術は凄くて頭も悪いわけではなくなんだかんだと伝統に囚われつつどこか憎めないあいくるしい部分をも持ち、ひたすら孤独な人達が住む世界。昨今の血が一滴も流れていない人形が愛だの涙だのとわめき散らすだけの作品とは、桁外れに違うリアルがこの映画には存在する。結末が何だかわからない感じでグダグダと終わる部分も、まさに現在の時間を象徴しているかのようではないか。映画は終わったのではなく、リアルな時間へと解放され融解していくのだ。
 「大日本人」には訴えかけてくるものが何もない。そういう意味で、非常に観客を突き放している映画である気がする。あなたは日本人であるという事実に対して、くだらないとそっぽを向いて目をそらしますか?日本という国にどうしようもない怒りを感じますか?冷ややかに別にどうでもいいんじゃないと平然と受け流しますか?こんな世界を待ってたんだよ、実に素晴らしいと手を叩き高田純次しちゃいますか?全ての意見が正解であり間違ってもいるのかもしれない。私達はそういう世界に生きているんです、きっと。
 来年消えるお笑い芸人ランキングなんて醜いものまで、この世界には存在しています。海パン一つで日本中を笑いの渦に巻き込んだ素晴らしい方もランキングされていました。あまりにも強烈なインパクトを持った完璧な笑いというのは、芸人さん達にとってはのどから手が出るほど欲しいものでもあり、反対に自分自身の芸人としての寿命をあまりにも儚くする両刃の剣であるというのは、もはや誰でも知っている事実なわけです。松本監督が「大日本人」で挑んだ笑いとは何だったのでしょう?もしかしたらこの映画は、数十年後にはカルトと化して伝説になる可能性もあるのではないでしょうか?少なくとも私にとっては、ここ十年の日本映画で初めてそう思わせた映画でありました。



  「大日本人」               2007       日本
 監督   松本 人志
 主演   松本 人志

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