DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

シャーロック・ホームズ「バスカビルの犬」を思う

 サー・アーサー・コナン・ドイル。
 怪奇幻想小説を量産し、歴史物やファンタジーを好み、晩年は妖精や心霊に傾倒しサーの称号(英国貴族の称号は、作家としての名声とは全く関係のない部分で獲得したものだ)を汚したとさえ言われるこの稀代の作家に魅かれる人は、ここ日本にもかなりの数が存在するのではないだろうか?両親の勧めもあって医師の道に進んだドイルは、余暇を利用してせっせと短編小説を書き連ねた。きっと作家にこそ天職を感じていたのだろう。本業の不振にかこつけて、彼は専業作家へと人生の岐路を振り替える。なるほどファンタジーの世界に住む人間としては、最新科学の場である医学の世界はいささか住みにくい場所であったのかもしれない。それは自身の作品に対しても言える事で、ドイルがショーロック・ホームズの成功を毛嫌いしていたのは有名な話である。現実しか信じない男・シャーロック・ホームズは、作者であるコナン・ドイルにはどうにも好きになれない自分とは正反対の男の投影であったに違いない。ドイルに限らず、作家にとって自身とは正反対の性格を持つ主人公というものは、案外形成しやすいキャラクターであるのだろう。ホームズは思いもよらぬ成功をドイルにもたらし、同時に大変な足枷を嵌める要因にもなる。ドイルはシャーロック・ホームズの抹殺を企て、仇敵モリアーティの手にかかったホームズは滝壺の露と消えるわけだが、熱烈なシャーロキアンはそれを許しはしなかった。シャーロック・ホームズは柔術により危機を脱して、無事に生還してしまう。50を越える短編と4つの長編という苦役を経て、ホームズは引退という形で花道を飾った。肩の荷をやっとの事で下ろしたドイルは、以降は心霊の世界へと積極的に旅立っていった。
 ドイルが妖精の存在を信じて疑わなかった裏には、ケルト民族の血があったのは間違いない。英国又はイギリスという言葉からは何とも判りにくいが、スコットランドとイングランドは民族的に大きな違いがある。極論で言えば、先住民と侵略者ぐらいの違いがあるわけだ。IRAという過激なテロリスト集団が存在する理由でもあるわけだが、それはまた別の話である。ドイルの両親はアイルランドの人であり、スコットランドに移住した後にコナンを生んだ。現在アイルランドといえば熱心なカトリック教徒の姿が思い浮かぶが、元々は日本と同じく八百万の神に近い宗教観を持った自然信仰であり、ドルイドを中心としたアミニズム思想に彩られた民族である。ケルト民族自体はアイルランド固有の民ではなく、ヨーロッパ大陸の至る所に存在していたわけだが、大陸に於いてはゲルマン民族等の台頭によって呑み込まれていく運命にあった。アイルランドだけがその禍から逃れていたのだが、やがてアングロ・サクソンの侵略によって大英帝国が誕生する。ちなみにアイルランド、スコットランド及びウェールズは、ケルト民族の国であり、イングランドだけがアングロ・サクソンの国である。たったこれだけの事実を知っているだけで、イギリスやアイルランド製の映画は楽しみ方が倍増するだけでなく、例えばサッカーの試合なんかも凄く楽しくなったりするわけだ。中村俊輔が活躍するスコットランド・プレミアの雄・セルティックとイングランド・プレミアの雄・マンチェスター・Uの試合は、同じイギリス同士の戦いでありながら完全な他国同士の戦いでもあるわけだ。しかも因縁ともいえる歴史を背負っているのだから、両チームのサポーターが血眼になるのも当然であり必然となる。ユーロ統合の恩恵を受け、アイルランドはヨーロッパ一の貧乏国という不名誉な肩書きを取り外しつつある。その影響もあって、IRAは英国政府との間に休戦状態にある。富というものが人々にもたらす力を今更ながら思い知らされるわけだが、それは日本にも言える事だ。かつて日本は世界でも指折りの治安を誇ったものだが、それもとあるカルト教団の銃弾が治安の要であるトップの要人の身体に撃ち込まれた事件を境に胡散霧集したと言っても過言ではないだろう。近づく世界大恐慌を前に、この薄らボケた平和が一体いつまで続くのかは定かではない。決壊というものは、ある日突然ドカンと来るという事を、私達は忘れてはいけないのだろう。新しい戦国の世が再び訪れないとは、どうして言えるというのか?あのオーストラリアですら、新しい首相の下、大国との付き合い方に距離を置き始めたのだから。世界は刻一刻と移り変わっているのに、ここ日本だけはぐじぐじと変わらずに(むしろ退行しているかのような首相が誕生した)くだらない論争に終始しているのはいかがなものか?世界が大きく変わろうとしているのに、どうして日本だけが変わらずにいられるというのか?この資源の乏しい国で。この食料自給さえままならない国で。技術大国・日本なんて絵空事に、いつまでも騙されているわけにもいかないのではないか?技術なんてものは、資材があって始めて有効なモノではないか?鉄くずや廃品を中国に売り渡している場合ではないはずだ。戦時中の日本は、家庭にあるあらゆる金属を国に提供したものだが、今の家庭にどれだけ有用な資源があるというのか?何事もアメリカ頼みのこの国が、近い将来直面するだろう悲劇にどれほど耐えられるのかは、神のみぞ知るというわけだ。今のこの国にまともな神がいるとは、私には到底思えないが・・・。
時に昨今の日本人の多くは、自分達をして無宗教だと言ったりするものだが、それは無宗教なのではなく自分達の神をないがしろにしているだけの話である。毎年正月になると初詣だなんだと大勢で群れ集まり、苦しくなると神棚に手を合わせたりするこの国の人々の一体どこが無宗教だと言えるのだろうか?日本人は神を信じていないわけではなく、自分達の宗教に対して無知なだけだ。無宗教は無知の代名詞ではないのだから。例えば外国人の人達に、私は無宗教だからとへらへら語るのは、実はとても恥ずかしい行為だという事を忘れてはならない。
 ケルト民族を語る時に、妖精の存在は決して外せないものだ。アイルランドで語られる妖精達の多くは、日本人がイメージするものとは遥かに違うようだ。妖精はどこにでもいるし、いろんな性格を持っている。それはそれとして、コナン・ドイルもまた様々な妖精を身近に感じながら成長してきたのは想像に難くない。晩年にインチキ妖精写真を本物だと断言して失笑をかうエピソードにしても、実に微笑ましいではないか。妖精は実在する。その思いが、コナン・ドイルに想像を絶するイマジネーションを与えた源となったとしたらどうだろう。私たちが現在、コナン・ドイルの作品を読む事の出来る喜びは、遠い異国の妖精のおかげでもあるわけだ。
 「バスカビルの犬」はシャーロック・ホームズの長編としては、最も人気のあるエピソードとして知られている。そこで語られるのは、幻想と怪奇の物語である。広大な沼地に囲まれた舞台設定の不気味さ。100万ポンドの遺産を巡る人間の狂気。とてつもなく巨大で獰猛な魔犬の伝説。倒錯した恋愛模様。ドイルの怪奇趣味が頂点を迎えたかのような物語は、ミステリーの古典として、これからも決して色褪せる事などないに違いない。ドイルの創作したトリックや謎解きは、現在ではいささかインチキくさいまがい物と言われてしまいかねない物が多いが、その事がこれらの作品の価値を貶めるなどという事態はありえないだろう。何故なら圧倒的に面白く、圧倒的に魅力的だからだ。
 名探偵の代名詞でもあるシャーロック・ホームズの名前は、ここ日本では作者コナン・ドイルよりも遥かに有名だ。ホームズは一本立ちして、ドイルの手を離れて今尚颯爽と世界を飛び回っている。新しいホームズの物語。新しいホームズの発見。新しいホームズの快挙。例え物語の隅から隅まで知っていたとしても、どうしても新しいものが作られれば見ずにはいられない魔法のような魅力を持つ英国紳士。最高にして完璧と評されるジェレミー・ブレット亡き後も、見事に復活を遂げた不屈の男。それが、シャーロック・ホームズなのだ。これほどの偉大な男がどのように創造されたのか?それこそが、実は最大のミステリーに他ならない。


  「バスカビル家の犬」              2002       イギリス
 監督  デヴィット・アットウッド
 主演  リチャード・ロクスバーグ       イアン・ハート


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