DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

別冊読みきり 「演技についての私的で密やかな推察 又は日本人は如何にして心配するのを止めてアニメを愛するようになったか」を思う

 映画の批評めいた文章に、たまに誰々の演技は良いとか悪いとかという類の文を採用している人達がいるが、あれが私にはよく分からない場合が多々ある。
 少なくとも映画の俳優において、いわゆる何かを演じるみたいな役者の勝手な思い込みによる動きというのは、邪魔以外の何物でもない。映画の俳優というのは、将棋の駒と同じものだと私は考えているからだ。理想を言えば、監督が思った通りに自由自在に動かせる操り人形であるのが、映画俳優の理想形である。そうしたあるがままの肉体としての自然さ、言い換えれば俳優個人の個性のようなものを完全に消し去り、ただの生きたマネキンになれる俳優こそ、最も優れた映画俳優の資質を持った人物だという事だ。
 そういう意味では、昨今のCG技術の発展は、非常に有用な部分もあるという言い方も出来るだろう。CGによって生み出されたヒト型が、人間と何ら遜色のない動きが可能になった時、それは映画俳優という商売が霧散する瞬間でもある。それはある意味、監督を志すものの究極の願いでもあるわけだが、私は楽観はしていない。CGがどんなに優れた技術を携えたとしても、所詮それは機械で書かれた絵に過ぎないという事だ。これはアニメーションの限界でもある。アニメ映画は、日本においては収益の面でも人気の面でも、信じられないくらい高い位置を占めているが、それは本来間違いだ。言葉は悪いが、アニメなんてものは、そもそも映画においては最も下層レベルにあってしかるべきものだと私は認識している。左様、確かに面白いアニメというのは世に幾らもあるし、場合によっては生身の人間が演じているドラマよりも数倍面白い発想なり筋立てなりを有している作品もあるかもしれない。私にとっては「機動戦士ガンダム」がそれに近い存在だ。けれど、所詮絵だという断固たる事実を認識してしかるべきだろう。日本におけるアニメの位置は不気味なほど高い。本来アニメで表現されるべき、大人と子供が一緒になって楽しめる類の作品が、日本にどれだけあるというのだろう。日本のアニメは不必要にエロすぎるし、不必要に暴力的だ。これは子供が見るという視点を、間違いなく無視している。ここでも日本人特有の、大人が子供のおもちゃを取り上げる現象が起きてしまっているのだ。言い換えれば、いい年齢をした子供が増大しているという事だ。これは当然怖ろしい事態であり、日本人はそろそろアニメというものに対して大幅な規制を設けるべき時期にきているのだと思う。海外では日本製のアニメに対して嫌悪感なり危機感なりを感じている人達が少なからずいる。「ドラゴン・ボール」は子供の教育に悪いのではないか?という声に、私は胸を張って{そんな事はありません}とは言えない。日本人は麻痺して分からなくなってしまっている部分が、少なからずあると思うからだ。日本の常識は世界の常識ではありえなし、日本が世界から見て住みよい国だというのであれば、少年少女達がこんなに毎年毎年自殺するのは何故なのですかと問いたい。世の中が不穏な空気に包まれているのは、無論アニメが直接的な原因とは言えないのかもしれないが、そこにも根本的な萌芽の兆しは間違いなくある。一番の問題は、この国の人達が、一つ気に入ったものが見つかると、それ一点に異様に執着してしまうという性癖だ。社会のあり方が、この国の人にそうならざるをえない状況を生み出しているのかもしれないし、一概に個人を告発する事は的を得ていないのかもしれないが、ようするにバランス感覚の欠如した人間があまりにも増えてしまったという事だ。アニメそれ自体が問題なのでは当然なくて、行き過ぎてしまった描写と、本来は子供が楽しむべき領分であるのがアニメの本懐だと思うのだ。少なくとも親子が一緒に楽しめる物が普通なのではないのでしょうか?子供なんていうのは、本来馬鹿でわがままで生意気なしょ〜もない生き物なわけです。だからこそ、しっかりと大人が面倒を見る必要があるわけだし、それはただ単純に食べさせて生きながらえさせるという意味ではないわけです。規範となる大人が子供と一緒になってギャーギャーやってるのは、どうした事かと思うのです。親と子は、絶対に友達なんかではあっていけない関係のはずだ。日本の政治家には全部丸ごといっしょくたにして、マンガやアニメを日本の文化として世界に発信しようなんて浅はかな言いようを平気で口にしている方もいるようですが、それはもの凄く危険で曖昧な物の見方である。
 日本人というのはとかく存在したものを、改良・発展させる事にかけては世界でも群を抜く能力を持っている。これは世界に対しても、実に有用な能力である。世界は日本の技術を確実に必要としている。日本人はその事に関して、並々ならぬ自信を持ってもいいんじゃないかと、私は考える。ところが、そうした能力も勧善懲悪というわけではない。例えば、アダルト・ビデオの存在はどうだろう?日本のアダルト・ビデオは世界では比べ物にならないくらい種種雑多だ。エロさにかけては、日本人は間違いなく世界一の人種である。日本人というのは男も女も、基本的には変態嗜好がもの凄く強い人種であるようだ。別に隠す必要もあるまい。日本人は全員すべからくエロにかけては変態的かつ能動的であると。だからといって、アニメまでエロに染める必要があったのだろうか?これを世間では行き過ぎというのではないか?お前だってその恩恵に浴している一人ではないかと、そういう風に言う人ももちろんいるだろう。確かにその通り、私は確かに恩恵に浴しているし、それらをたまには楽しんでいるとも言える。現実に存在するのだから、それはある程度仕方がない事態であると言うしかない。問題はそれをきっちりと認識して、自分の中できっちりと判別しているかどうかの違いなんだと思う。少なくとも私は、日本政府がアニメに関して検閲を厳しくする旨の法律を制定すると宣言したとするならば、概ねこれに賛成するのにやぶさかではない。これもまたバランスの問題だ。繰り返しになるが、このバランス感覚が欠如してしまった人間が増えつつあるのが現在日本が抱える重大な問題なのだ。
 最近、{空気が読めない}という言葉が、あちらこちらに氾濫している。昔から空気の読めない人間は確かに存在していた。人間というのは、そもそも不完全な生き物であるのだから、それはそれで当然の成り行きだ。しかしそれは、以前は少数派であったという事だ。場の空気を読むとか、周りに同調したり協調したりする事は、本来は人間なら当然身に付けているはずの自然な処世術の一つであったはずだ。人は一人で生きているわけではない。摩擦や反発を感じつつも、他人とコミニケーションを取るのは実際当たり前の事だったのだし、現在においても当たり前であるべき事のはずだ。{空気が読めない}という言葉がこれだけ大っぴらに広言されている現代というのは、この当たり前の事が全く理解出来ないし使用出来ない人間があまりにも増えてしまったと見るべきだ。これは本当に怖ろしい事で、もっともっとこの問題に対しては皆が関心を持たなければ絶対にいけないはずだ。大雑把に言えば、日本という国を滅ぼす原因となる問題だという事だ。これに異論のある人はいるのだろうか?社会で毎日生活していれば、これまでの常識では考えられない人間の行動に、ほぼ毎日のように出くわしてはいないだろうか?少なくとも、私は出くわしている。毎日、毎日。
 本題からずれてしまったが、俳優の演技については、例えば舞台俳優に求められる資質と、映画俳優に求められる資質と、TV俳優に求められる資質は全く違うのだと選別して考える必要があると私は考える。これがごっちゃまぜになって、どの仕事も同じように解釈しているのが日本の現状だと思われるからだ。映画俳優に関しては、冒頭に簡単に意見を述べた。舞台俳優はどうだろう。舞台というのは直接観衆に向かって、何かを示さなければいけない必要性がある。客席は小さい箱ばかりではないわけで、俳優というのは誰にでも分かるように全ての事柄を大袈裟に表現しなければいけない。普通、皆が考える演技というものは、極端に言えばこの舞台俳優に求められる資質だ。舞台というのはリアルタイムであるからして、確かに俳優自体が登場人物に積極的に関与する事が求められる。舞台における演出家というものは、舞台全体のバランスを取るのが仕事であり、登場人物に対してはほぼ演じる俳優達に丸投げしているのに等しい。もちろん指導はするわけだが、他人の考えを正確に把握出来る完璧な感性を持った人間などいるわけがない。舞台というのは、俳優個人の力によって出来不出来が決まってしまう、演出家にとっては宝くじみたいな部分が往々にしてある。TV俳優はどうだろうか?映画と似たような環境で製作されるのだから同じようなものだろうと解釈する人もいるだろうが、本来は全く違うはずだ。日本ではこの辺がもの凄く曖昧かつ同等に扱われている部分が多々あるので、観ている私達も錯覚してしまうのだ。これが日本映画をダメダメにしている一つの理由でもある。そして映画の殿堂であるハリウッドの抱える問題でもある。ではTV俳優に求められる資質は何か?最も判りやすく言えば、それは人気があるかどうかという事に尽きる。好感度だ話題性だなんだと言い方はいろいろあるだろうが、それが全てだと言ってもいい。究極に言えば、TVというのはドラマの質だとか内容だとかいった事は、実はどうでもいいのだ。CMをどれだけの人が目にするか。これがTVの命題であり、その為には何だってありなのだ。何故TVドラマが芸術とは遠い場所に位置するかと問われれば、結局動機が不純だからという辺りに落ち着くのではないだろうか?もちろんTVドラマにも優れた作品は幾つもあるが、優れた作品には人の目が集まるわけで、それこそが大事というわけなのだから、結局は何も変わらないというのが正しい認識の仕方なんだと考える。
 結論として、映画に求められる演技というのは、いかに自分を殺せるかに尽きると断言しよう。自分自らの魅力をアピールしてしまう俳優は、映画ではペケなのだというのが、基本的な映画俳優に対する見方であるのが望ましい。だからこそ、映画ではキャスティングがとても重要になってくる(TV俳優にも同様だが、方向性は全く違う)わけだ。監督が考える人物像にどれだけ当てはまっているかが重要な要素となる。その意味で、現在の日本人監督は、映画を真剣にとっているようには見えないという苦言を呈してみたいものだ。
 ハリウッドがそうだからといって、何故日本もそれに倣わなければいけないのか?こんな猿でも理解出来る疑問を、昨今の日本人は毛ほども考えないらしい。究極を求めれば、舞台、TV、映画の俳優はそれぞれ自分の範疇の中だけで活動して欲しいものだ。数少ない優秀な俳優には、それら全てをこなす要素があってもおかしくはない。知っての通り、天は実に気前よく二物を与えるからだ。けれど、二物どころか一物さえもしょうもない俳優の方が圧倒的に多いのだから、ここはもうどれか一つに絞れよといいたい所だ。二兎を追うもの一兎を得ず。いい言葉が日本にはあるなぁ。温故知新。まさにこの言葉が、日本人には必要になってきているのではないだろうか?個人がどうのこうのという前に、民族としてのアイデンティティをもう一度再確認してもいいのではないか?アメリカがどうとかヨーロッパがアジアがとか、そんな事ばかり言って逃げようとする政治家が国会で茶番劇を演じて久しいが、そんな事よりまず日本という国がどうあるべきなのか?日本という国がどうしたいのか?基礎工事からこの国はやり直す必要が断じてある。手抜き工事ばかりの家に住んでいる国民だからといって、国の根幹たる行政が手抜きのままでいいはずがない。不義理な行いをした国会議員は、まず腹を切ってお詫びとする。これぐらい過激な法律を制定しないと、この国は何も変わりそうもない。



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