DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

シェークスピア21「から騒ぎ」を思う

シェークスピアを語る時に、まず挙げられる作品は「リア王」だったり「ハムレット」だったり、そしてあの「オセロー」だったりするわけだが、それはいわゆる悲劇という括りでまとめられる作品達だ。裏切り、復讐、妬み、野心などに彩られたそれらの作品は、見た目的にも確かに派手だし、はらはらどきどきと人の好奇心を刺激するに十分なお膳立てに事欠かない。これらが内包する物語としての根幹は、人の悪意だったり弱さだったりするわけで、なるほどそれらは十分に議論する余地のある面白い議題にもなろう。
 しかし、シェークスピアの優れた才能は、喜劇において最大限に活用され開花していると思うのは間違いだろうか?シェークスピアについては以前、すでに存在した物語の筋書きやアイデアを彼風にアレンジをして劇本に仕立て上げた名アレンジャーであるうんぬんと書いた覚えがある。それは今日では誰もが知っている基本中の基本である。それは現在におけるスティーブン・キングの立ち位置でもあるわけで、実際この二人には共通点が幾つもあるのではないだろうか?それはそれとして、シェークスピアが何故手垢のついた物語ばかりを取り上げていたにも関わらず、今日にまで一向に衰えない恐るべき影響力を誇示しているのかという点に考えを及ぼすと、彼の顕著な特徴に気づかされるはずだ。別に何も難しい話ではなく、シェークスピアが創造した人物達がどれも実に魅力的だというだけの話だ。シェークスピアはそれらの魅力的な人物を自身の作風に生かす為に、独特な世界観を持って作品の舞台をしつらえた。それは作品個々の単独した世界観ではなく、悲劇であろうと喜劇であろうと一貫してシェークスピアという惑星の中での出来事として消化吸収されている。言葉にするのは難しいが、シェークスピアっぽいとかシェークスピアらしいとか、そういった感覚的なものが全ての作品に一貫して貫かれているという事だ。シェークスピア劇という言葉で呼ばれる世界の中では、シェークスピアが絶対神として君臨している理由でもあろう。では何故、喜劇か?「お気に召すまま」や「夏の夜の夢」を引き合いに出すまでもなく、喜劇においては恋愛が重要な鍵となる場合が多い。恋愛話というのは実にありふれているわけで、私達も毎日その只中で生きている。電車に乗っていて、たまたま目の前に座った人に心を奪われた経験のある人はいないだろうか?街ですれ違った見知らぬ人を、無意識に目で追っていた経験をした事がないと言い切れる人は一体どれだけいるのだろうか?それは一瞬であったとしても、恋なのだ。その偶然が同一人物の間で何度か繰り広げられた状態を、私達は運命と呼ぶではないか。もちろんそれは単なる勝手な思い込みに過ぎないのだろうが、恋愛において思い込みほど大切な要素は他にないのではないか?運命によって人は幸せを享受されるのだが、幸せとは思い込みであると言ってしまっては言い過ぎですか?またしても脱線してしまったが、それだけありふれた恋愛話には、四大悲劇に代表されるような劇的でダイナミックな要素は、当然発揮する場面がない。つまりそれだけ、より人物の魅力に依存する率が高くなるというわけだ。私達は「オセロー」や「マクベス」に面白さを見出すと同じ位の感動を、シェークスピアの喜劇にも発見する事が出来る。シェークスピアの創造した人物の代表として、「空騒ぎ」のベアトリスや「お気に召すまま」のロザリンドを挙げるのは別に奇をてらっているとは言えまい。ならばシェークスピアの代表作は喜劇にこそあるという意見も、実に全うな意見だと私は思うわけだ。
 新宿のシアター・サンモールで、私は「空騒ぎ」を鑑賞した事がある。某有名大学のシェークスピア劇団か何かだったと思う。正直言って、その舞台には何の思い入れもないし、何の記憶もない。大体が私は、芝居というものが大嫌いだ、というか苦手なのだ。私はある女性からその公演のチケットを貰い受け、鼻の下を伸ばしてその女性に会う為だけに足を運んだのだ。彼女は舞台の上にいたのではなく、観客席後方にあった場所にいた。照明さんである。然るに、私は舞台には全く関心などあるはずもなく、後に「空騒ぎ」を読んだ時にはもの凄く新鮮だったのは言うまでもない。当時、私はぴったし二十歳だった。その照明さんに初めて会ったその日、私は自分にとっての理想的な顔というものを初めて知ったのだ。私は当然、恋に落ちた。もうメロメロのベロンベロンだったと思う。もう随分とそれから生きてしまったわけだが、私にとっては彼女以上の美人というのはいまだに会った事がない。ある意味私はソン・イェジンやイ・ヨンエにベロベロ(笑)だが、私にとっては彼女の方が遥かに上の存在だ。それにはもちろん経験というものが大きく働いているのは間違いない。長電話で話した事、お酒を飲みながらふざけた事、それらを忘れろというのはどうしたって無理だ。よく{結婚するなら二番目に好きな人とすれば幸せになれる}なんて事を言う人がいるが、あれは絶対に嘘だ。大体、恋愛においては一番好きな人が全てで、その他の人は二番も三番もあるはずもなくただその他大勢の好きな人でしかないのではないか?結婚という制度に対しても私はそれなりの了見を持っているが、長〜くなるのでそれ自体は別の機会に譲るとして、その時その時で一番好きな人と結婚するのは当然なのではないか?その後幸せに生涯を真っ当しようとぐじゃぐじゃになって離婚しようと、それは全く別の話である。一言、出来ちゃった婚について私の意見を言えば、本当に好きで好きで仕方がない相手でもない限り、子供が出来たぐらいで結婚するなと言いたい。別に結婚なんかはしなくても子供は育てられるし、子供の為の苦労を苦に思うのであれば、あなたはまだ大人になっていないのだよ。子供が子供を育てる難しさは、毎日のニュースを見れば痛いぐらい分かるでしょうに。日本が少子化で国が無くなったとしても、生まれてくる子供達の事を思えば、それはそれで致し方ない道であると、日本人はそろそろ気づいてもいいんじゃないか?子供というのは自分より遥かに価値があるのだと、親ならば自覚して当然でしょう。そう思えないのであれば、あなたには結婚する資格がないんだよ。というか、親になる資格がないんだな。里親にでも預けた方が、子供がしっかりと育つ場合もあるのではないか?悲しいけど、それが現実なのではないかと思うのです。
 私の思いは添い遂げられ、今は二人で幸せに・・・って結末であれば、私の人生も立派だったんだろうけど、現実にはそうではありませんでした。若さ故か。確かに、とにかくSEXしたいって、あの頃はそればっかりだった気もするしねぇ。結婚だなんだって、頭にあったかというと、それは嘘になるよなぁ。恋というものは、実際実る方が遥かに少ないわけです。そうではないか?人は何度も何度も恋に落ちては失望し、奈落の底に突き落とされては這い上がる、傷だらけの存在なのですね。だからこそ、成就した時には1000カラットのダイアにも劣らない価値があるのではないでしょうか?そういう結婚なら生まれた子供も幸せに育つのでしょうね。くれぐれも、お幸せに・・・。
 人は恋愛によって幸せを感じるのか?それはYESでありNOでもあるわけだ。恋愛は人を不安にし、臆病にし、狂気を引き起こす可能性すらある。ここにはハイリスク・ハイリターンの原則が垣間見える。怖気づくのは止めにしようよ。そこに愛がある限り、人は盲目の戦士でしかない。{心と心の結婚にあたり 障害を認めさせるな}か・・・。シェークスピアの劇は現代劇に置き換えたとして、何ら違和感がないしそこには一抹の感動が控えている。それはシェークスピアの戯曲が普遍の力を持ったものである証明でもある。公の場で、「空騒ぎ」がシェークスピアの最高傑作と言われる事はないのかもしれない。けれど、それは最高傑作ではないという証拠にはならない。
 恋愛というものは、とかく人の勇気を試す代物であるが、何もせずに諦める事が人にとってどれだけ苦しくもつまらない事なのかを教えてくれる。そしてまた、私は恋に敗れるのだろうな。それでも前を向いていられるのは、何かちっぽけなモノを変わらず信じている証なのだろう。{笑わないで、聞いてくれよ}。大丈夫、表面的には笑っていたとしても、心の中では誰も恋愛を笑えるはずがないではないか。何故なら私達は、所詮同じ穴の狢なのだから。


  「シェークスピア21−から騒ぎ」     2005   イギリス
 監督  ブライアン・パーシバル
 主演  ダミアン・ルイス      サラ・パリッシュ


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