DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

「ブラック・ダリア」を思う

パルマ家のブライアン氏は果たして巨匠なのか?確かにジョン・カーペンターやらサム・ライミやらクエンティン・タランティーノといった面々に比べれば、遥かに高級感が「アンタッチャブル」以降漂っている気がしなくもない。映画監督としての手腕も、先に挙げた三人よりも優れているのは確かだろう。しかしどこか中途半端で不安定なポジションに立っている印象が強くて仕方がない。実に情熱的にごく一部の人達だけに支えられているカルト監督とも呼びにくいし、スピルバーグやジェームズ・キャメロンのように泣く子も黙る大物というわけでもない。雇われ監督としての側面も否めないし、そういう意味での作家性も希薄だ。ただ、ご存知のように、この人は一貫して自分のスタイルを確立している監督であり、それは映像の魅力として銀幕上に彩られている。見事なシーンが必ずどの作品にもあるというのは、決して楽な仕事ではないはずだ。代表作と言われるような{この一本}がないのも痛い。良く言えば底を見せていないともとれるし、悪く言えばあるシーンの素晴らしさを一本の作品全体へと昇華させる事が出来ないとも言える。そういう意味ではどこかいつも観る前から限界を感じさせてしまう監督であり、作品自体の寿命も低いレベルで安定してしまっているのは、とても残念な気がしてならない。
 デ・パルマの歴史は幾多の名監督がそうであったように、ホラーに題材をとったジャンル映画によってスタートしている。「悪魔のシスター」や「ファントム・オブ・パラダイス」といった一部のマニアが熱狂する類の作品で注目を浴びた後、スティーブン・キングの処女長編として有名な「キャリー」である程度の地位を獲得した。以降、幾多の一流俳優との仕事も含めて、着実に一流監督の道を突き進んで今日に至っている。その過程には「スカーフェイス」や「アンタッチャブル」或いは「ミッション・インポッシブル」といったヒット作品も生まれ、どの作品も一定の注目を集めていたようだ。個人的には「殺しのドレス」が好きな作品で、どこかダリオ・アルジェント作品に通じる魅力に何度か繰り返し観た記憶がある。「殺しのドレス」は、デ・パルマのヒッチコキアンぶりを確認する見本のように扱われている作品であるが、私は殊更ヒッチコック色は感じなかったように思うのだがどうなんでしょう?技術的な事がどうこうというよりも、もっと人間としての本質的な部分に大きな違いがあるように思えてならない。ヒッチコックは相当な怖がりで臆病な性格だったのはよく知られているが、それがコンプレックスとなって作品を作り上げていたのではないだろうか?要するに、怖い映画をこれでもかこれでもかと作り上げて、{どうだい、あんただってこんな映画でひーひー叫んでるじゃないか}と言ってにやにやしているヒッチコックの姿が容易に想像出来ないだろうか?一方、デ・パルマは怖がりな性格という気がしない。むしろ残酷な事が大好きで、血なんて見た日には人を押しのけて最前列に陣取らないと気がすまないといった感じを想像してしまうのは私だけでしょうか?嫌いだから作るという視点と、好きだから作るという視点では、出来上がった作品が同じサスペンスでもその質に違いが生じてくるのは当たり前のような気がするのだが。そういう点でも、私はデ・パルマが度々言及される第二のヒッチコックみたいな呼ばれ方には、とても賛成出来ない。SとMの違いというのは、やっぱり相当異質なのではあるまいかと思う次第である。ちなみにヒッチコックの大ファンを自称する人達は、デ・パルマの大ファンでもあるというのが大多数の意見だという統計でもでているのでしょうか?これに関しても、私は常々懐疑的であるわけです。少なくとも私の中では、ヒッチコックはかなり天空に近い高みに存在する映画監督でありますが、デ・パルマは好きな作品もあるにはあるけど、別に何を取り立てて持て囃すような監督ではないわけです。同じような世代の同じようなタイプの作品を連発する監督達とデ・パルマを比べたとしても、監督としての実力はデ・パルマよりかなり下回るのでしょうが、独特のチープさとヘタウマ感を画面に炸裂させているジョン・カーペンターの方が私には常に魅力的でありますし、独自のスタイルを確立しているという点でもより異質でよりマニアックなデヴィット・リンチに軍配が上がるのではないでしょうか?結論を言えば、ブライアン・デ・パルマは中途半端な監督である、というのが私の中でのデ・パルマの位置であると言わざるをえない。
 そんなデ・パルマの最新作が結構思ったより話題にもなっていた「ブラック・ダリア」であります。デ・パルマの作品って、こんなに積極的に大々的に宣伝を受ける対象だったでしたっけ?ハリウッド黎明期の女優の卵の殺人事件に端を発して創作された作品にデ・パルマが多大な興味を持った事は、単純に理解できます。過去の作品を見ても、ある時期のアメリカの姿が実に見事にデ・パルマによって再現されていました。そしてアメリカ一有名な死体とも言われる、奇妙な女性の死体にデ・パルマが興奮に我を忘れた姿も手に取るように理解できます。何しろ最前列に陣取る人ですから(最も、これは私の想像の話ですが、あくまでも)。ここで重要なのは、このアメリカ一有名という点です。私達は図らずも日本人なわけで、少なくともまだアメリカの州の一つではなく、日本国という一見いんちき臭いとはいえ、れっきとした独立国家の住人なわけです。アメリカ一だろうとなんだろうと、日本では圧倒的に無名であり、興味も半減するのは当然です。実際、どれだけの人がエリザベス・ショートなる犠牲者の名前を知っていたのかどうかは、はなはだ疑問です。これは作品を観るうえでは、かなり問題になる点ではないのでしょうか?この殺人事件について少しでも知っている人と、全く知らない人とでは、映画を鑑賞する上で絶対に違いが生じるはずです。アメリカで興行収入でトップになったとかいう宣伝の仕方はもはや定番になっていますが、日本とアメリカは違う国であるという事実がいつもないがしろにされているようでなりません。アメリカでどんなにヒットしようと、特にしゃべくりが売りのコメディ映画等は、基本的には日本人にはさっぱりなはずです。私は、この手のコメディ映画が大好きという人の気がしれない時がままあります。「ブラック・ダリア」はある意味、日本人には理解不足な映画の典型なのかもしれません。誰もが知っている話はダイジェストでも話が通じるものですが、何も予習がない状態ではあれよあれよと進んでいく展開についていけなくなるのはごく普通の事ですし、そういう意味でこの「ブラック・ダリア」は(アメリカ人以外には)とっつきにくいタイプの映画だといえるでしょう。正直、一回の鑑賞では「ブラック・ダリア」の評価は付けにくいとしか言えません。一回観て理解が及ばない映画というのは、その時点ですごく損をしている場合があります。次から次へと製作される映画作品の波の中で、そうそう何度も同じ映画を見返すのは相当何かに囚われなければもはや無理でしょう。「ブラック・ダリア」は雰囲気にデ・パルマらしい味を魅せる良質な映像を持っていながら、そうそう評価が上がらない作品なのではないでしょうか?何度も何度も見返す事を厭わないデ・パルマ大好き人間の方には、結構いい線いった映画なのかもしれませんが、正直私は再びこの映画を観る気にはしばらくはなりません。へたすれば、一生ない可能性すらあります。
 人間の人間に対する評価というのは見た目で実はほとんど決まってしまうとも言われています。一目惚れというのは、人だけではなく映画にも通用する現象です。「ブラック・ダリア」は鑑賞前の評価では、どのデ・パルマ作品よりも私の興味を誘った作品であるにも関わらず、観終わった後の満足感は非常に乏しい映画でありました。あなたにも覚えがあるのではないでしょうか?ずっと憧れていた人と念願叶ってデートまでこぎつけたのに、いざデートをしてみると何かのきっかけで気持ちがさぁっと退いてしまったという経験が。「ブラック・ダリア」は私にとっては、そんな作品でありました。
 デ・パルマは果たして巨匠なのでしょうか?そうだとも言えるし、そうではないとも言えるのでしょう。結局はその作品に触れた、あなただけにしかわからない問題なのではないでしょうか?


  「ブラック・ダリア」        2006   アメリカ
 監督 ブライアン・デ・パルマ
 主演 ジョシュ・ハートネット    スカーレット・ヨハンソン

      

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