作家レイ・ブラッドベリが1952年に発表した「A SOUND OF THUNDER」を読んだ事がある人なら分かるでしょうが、ここで言うサウンド・オブ・サンダーとはティラノサウルス・レックスの叫び声の事である。ブラッドベリはその諸作において、恐竜を雷に結びつける表現を度々使っている。ブラッドベリが恐竜という現代では未知の生物に、どのような印象を持って作品に扱っていたのかが何とも想像出来る。雷を恐れ嫌う人は多いが、夜空を貫く稲妻は時にとても美しい輝きを秘めている。恐竜に、恐怖と同時に憧れを持つ少年はかつてたくさんいたに違いない。日本でも大きな展示会などが開かれる度に、数多くの人が足を向ける。もちろん、私もその一人だ。かつては恐竜博なるものが開かれる度に、西へ東へと奔走したものだ。人は時に絶大なる力に対して、盲目的な崇拝を見せるが、ティラノサウルス・レックスのような肉食の大型恐竜もまた人を誘惑する力に満ち満ちているといえるのだろう。
1925年に公開された「ロスト・ワールド」は、恐竜映画の古典として映画史に名を残しているだけではなく、現在でも比較的容易に観る事が出来る作品という点が興味深い。シャーロック・ホームズの生みの親としての側面があまりにも大きすぎるアーサー・コナン・ドイルの、もう一つの代表作を原作にしたこの映画は、恐竜好きの人間には堪えられない作品ではあるが、そうではない人にとっては大して価値のある出来ともいえないが、後にリメイクされたトカゲにヒレをくっつけただけの贋物恐竜などとは比べるべくもないその造型こそが現在もみゃくみゃくと恐竜映画好きの人達を惹きつけている要因であるのは間違いがない。「ロスト・ワールド」で恐竜に魂を吹き込んだ男・ウィリス・オブライエンの名前は、1933年には「キング・コング」でとてつもない名声を獲得した。そして、二人のレイがそれに続く血脈となって追従する。二人のレイとは、レイ・ブラッドベリであり、レイ・ハリーハウゼンだ。私が映画にのめり込んだきっかけは、少年時代にレイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」をTVで見た事であるのに間違いない。あれからもう随分と様々な映画を観てきたが、「アルゴ〜」以上の興奮を与えてくれた作品は、もしかしたら皆無かもしれない。そして、飽きもしないで未だに映画を観続けているのも、「アルゴ〜」の体験が忘れられないからだろう。もし万が一「アルゴ〜」を越える映画をこの先観る機会が訪れたとしたら、私はもう二度と映画を観ないで済むのかもしれません。きっと観なくなるでしょう。映画とは、本来点数などを付けて順位づけするものではありません。どんなに下劣な出来の映画であったとしても、たったワン・シーンがある人には生涯忘れられぬ一本になる事も数多あります。そこにも映画というものの魅力があるのではないでしょうか。そのレイ・ハリーハウゼンの代表作に「恐竜グワンジ」があります。ストーリー的には「キング・コング」をそのまま西部劇の世界に舞台を移して、コングを恐竜に変えただけの代物ですが、恐竜映画のマストピースであるのは疑いようがありません。そして、恐竜好きの心を鷲摑みにしたと同時に、ある種の魔法をなし崩しにしてしまったあの映画が1993年に劇場公開されました。「ジュラシックパーク」。スティーブン・スピルバーグ監督の数少ない駄作として知られるこの映画は、一方恐竜映画としては完璧な出来栄えでした。今でこそ当たり前ともいえるCG技術ですが、私はこの映画を大スクリーンで観た時にどぎもを抜かれたのを覚えています。と同時に、恐竜に対する憧れのようなものも消え去ってしまった気がします。あの映画の恐竜は完璧過ぎて、いわゆる想像して楽しむ余地を踏みにじってしまいました。あの映画以降、優れたCG技術の進歩を、数々の映画が魅せつけてくれました。ピーター・ジャクソン版「キングコング」やら「スパイダーマン」やら、SFXを売りにしたアトラクション系映画は物凄い数が量産されています。面白い映画もたくさんありますし、くだらない映画もそれ以上存在しますが、私には「アルゴ探検隊の大冒険」が与えてくれた感動を、それらの映画から与えられた事は皆無です。これは作品の質がどうのこうのという事を言っているのではなく、私が映画の観客としてはもうすでに老人だという事実に他なりません。出来る事ならば・・・、これらの娯楽映画を鑑賞する度に最近の私はこんな感想しか出てきません。二十年後に映画が現在の形を維持しているかどうかは定かではありませんが、正直その時代の移り変わりを私が実際に目にする確立は低いでしょう。残念ですが仕方ありません。私が初めて劇場で観た映画は「スター・ウォーズ」でした。現在の小学生の中には、初めて劇場で観た映画が「スター・ウォーズ エピソード3」だという人もたくさんいるのではないでしょうか。その事を思うと、カルチャーギャップという言葉を思い返さずにはいられません。「エピソード3」を劇場であくびをしながら観ていた私と、かぶりつきでのめりこんでいる少年の違いは何なんでしょう?なんか涙が出てきそうだなぁ、およよ。
「サウンド・オブ・サンダー」という邦題は何とかならなかったのでしょうか?この題名はこの映画に相応しくありません。ブラッドベリを知らない人には、全く意味不明の題名です。正直、ここ日本に於いてレイ・ブラッドベリが有名人かどうかも疑問です。しかも映画の中身は原作のような恐竜が主役のものではなく、わけのわからない猿とトカゲのあいのこみたいな化け物が右往左往しているだけの代物です。本来は劇場未公開のコアなファン向けDVDで出せば良かったのでしょうが、劇場で上映するのならばせめて題名を何とかして欲しかった気がしてなりません。製作が難航しただの資金繰りがどうのといった裏話も、観る人には無関係でしょう。この映画の最大の弱点は、作り手側の想像力の貧弱さと登場人物の薄っぺらさにあります。私なんかは、最後まで誰が誰なのかよくわからなかったです。えっ?今死んだの誰?とか、この人ヒロインだっけ?と、いちいち小首を傾げながら観る映画に傑作なんてあり得ません。この手の映画は、時にSFXがどうのこうのと言われる事もあるように思いますが、映画を評価するのにSFXなんてどうでもいいのではないでしょうか?特撮が凄いとか、ちゃっちいとか言うのであれば、ミュージック・クリップとかその手の物を見ていればいいじゃないですか。わざわざ高い金払って、特撮の出来に一喜一憂するのは理解出来ません。これもカルチャーギャップでしょうか?あぁ、また涙が・・・。世の中には「ジュラシック・パーク」のようにSFXは素晴らしいのに、とにかくつまらない映画も存在します。映画ではないですが、「リバーダンス」みたいに舞台装置には何も金をかけなくても音楽とダンスだけで魂を奮わされる舞台も同様に存在します。少なくとも日本製の娯楽映画がつまらないのは、SFXがちゃちいからではありません。もっと金をかけられれば、もっと凄い映画を作れるのにと公言する監督はいない(はずですが・・・)でしょう?単純に特撮がどうのこうのと語られる映画は、大体がつまらないからです。本当に面白い映画は、特撮がどうのこうのなんて感想はきっと出てこないのではないでしょうか?
ところで、タイムマシンという設定は両刃の剣だよなと、今更ながら思わされた映画でもありますね、この作品は。世の中には、理論的にはタイムマシンは実現する可能性があると信じている方々(単なるSF好きから科学者に至るまで)も少なからずいらっしゃるようです。個人的には、もし万が一タイムマシンが将来誕生したとして、過去に戻って何かしてもそれは既に織り込み済みの事で、それによって現在の何かが変わるというのはおかしいと思うんですが。それはそれとして、これほどリアリティのないタイムマシンという設定でも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいな確実に面白い映画は存在するわけです。時代と共に映画も窮屈さをましているようです。その裏には、製作者と共に観客にも想像力の欠如がある気がしてなりません。世の中が便利になればなるほど、人間の周りには色々な見えない壁が築かれ続けていると感じるのは気のせいでしょうか?人が想像する事を、人は必ず実現出来る。そんな言葉はいんちきだと思ってしまう今日この頃、これも老人になった証でしょうか?
「サウンド・オブ・サンダー」 2005 アメリカ=ドイツ=チェコ
監督 ピーター・ハイアムズ
主演 エドワード・バーンズ キャサリン・マコーマック

