「笑の大学」は、とても退屈な作品だ。とにかく長すぎる。そして反戦映画の側面を、恥じも外聞もなくひけらかしている。日本的な反戦論に常々疑問を持っている私には、こういった脳天気な反戦猿芝居には眉間に皺の一つも寄ってしまうというものだ。三谷幸喜という胡散臭い人間がそもそも好みではないが、実はこの映画は機会があればぜひ観てみたいと思っていた作品だった。何より作品の設定に心が魅かれたからだ。喜劇作家と検閲官との密室でのすったもんだを描くというのは、何やら面白そうな雰囲気を醸し出しているではないか。コメディ映画はチャップリンだけで十分と割り切ってあまり観ていない(世の中にはあまりにもたくさんの映画があるので、映画ファンは常に取捨選択を義務づけられている。私にとって三谷幸喜なんかは真っ先に観ないリストに名を連ねる常連だが、そこに食わず嫌いの論理が顔を覗かしているのは認めざるを得ない。とはいえ、TVでもたまに見かける三谷氏の立ち居振る舞いが、私はどうしても好きになれない。だから作品も観ない。これだけ人気もあり地位も確立している人物なのだから、当然優れた才能の持ち主なんだろうが、作品の選択にはそこは無関係である)のだが、「笑の大学」という映画の存在を知った時に、私は直感的に{これは面白いんじゃないか?}と何故か思ってしまったのだ。理由なんてあるはずもない。だって直感だから。そして、まんまと時間を無駄にしてしまった。私は趣味で中央競馬を嗜んでいるのだが、直感に頼って馬券を的中させた事がないのにはたと気付いた。あぁ、私は動物としては実に下等な生き物なんだなぁと思い知らされてしまうわけなのだ。情けないやら悲しいやら、はらひれはれほれ。
笑いは世界を救えるのだろうか?本当にそう信じている人がいるとしたら、それこそお笑い草とも言われかねない。では、みんなが大好きな愛なら世界を救う事が出来るのだろうか?実に抽象的で何とも言いがたいが、夢を見る自由は保障されているのだから特に否定する必要もないのだろう。かつてビートルズは「愛こそすべて」と歌い大金を稼いだ。そのメンバーのジョン・レノンは熱狂的ファンの愛によって命を奪われた。愛とは実に個人的な(そしてかなり一方的な)感情である。全世界的な愛なんてものは、ほぼ絶対に存在しないのは目に見えている。愛は膨大な金をもたらす幻想として、あまりにも過大評価され且つ神格化されて人々の中に根付いている思想に過ぎない。
それにしても、「笑の大学」の反戦気分はとってつけたようで実に居心地が悪い。別にただの検閲官と作家の人間としてのやりとりで十分作品になったんじゃないの?と、ついつい思ってしまう。{お国のために、お国のために、お国のために}と三回いれなさいとか検閲官が作家に要求するのだが、それは裏を返せば三谷氏が{お国のために死ぬなんて馬鹿だ}と思っている事の表われだろう。その言葉の裏にあった各個人の気持ちをないがしろにして、昔の日本人っていうのは本当に馬鹿だよねと、鼻で笑っている気がしてしまうのは私の理解力が低いという事なんでしょうか?後半、赤紙を手に{お国の為に死んできます}と作家がいう場面も、私には{何で?}って感じでした。確かに戦場に兵隊として赴くわけだから死ぬ可能性を考えないわけではないだろうが、そこで人は{お国の為に死んできます}と言うんだろうか?人間ってそういうものですか?検閲官は必死こいて{生きて帰って来い}と作家を送るのだが、これも100%死ぬと思っているとしか見えなくて、私にはどうにも腑に落ちなかった。しかも、この「笑の大学」の舞台世界には戦争の影は微塵も感じられないのだから、まるで二人の戦時中と設定したコントみたいな感じがして妙に違和感があった。こんなものは反戦メッセージでもなんでもないですよ。自分のエゴの為に反戦というスパイスを使ってみましたみたいなもんでしょう?何か気分が悪いなぁ。反戦なんて実は考えた事もないけど、それで金と賞賛が得られればいいや的な匂いがぷんぷんするんですけど。うがった物の見方なのかなぁ?「パッチギ!」とか「男たちの大和」みたいな一方的な押し付け映画が最近多いから、斜めからしか映画を観れなくなってしまったのか?それはそれで怖いなぁ。
そういえば憲法改正に伴う国民投票がもう現実のものとなりそうです。いつまでもずるずると意固地に改正せずにごまかし続ける姿はどうにも真っ当ではないと思う私は、とりあえずは賛成です。日本国憲法を平和憲法とか言うのには、もう我慢ならないですよ。大体、平和憲法ってなんだい?日本は憲法を遵守して守り続けてきたなんて言う人もいるようだけど、どう考えてもただほったらかしにしといたけどたまたま何の不都合もなかった的な日々を積み上げてきただけのような気がするんですけど。例えば台湾で有事が起きて、米中が緊迫する状態になったら憲法がどうとか言ってる場合じゃなくなる気がしてしょうがないんだけど。イラクに本格的にイランが介入を開始して、アメリカが再び戦闘状態に突入したら、現地の航空自衛隊の人達はどうなってしまうんでしょう?日本はそろそろ色んな部分で変化していかないと、本当に沈没しかねないんじゃないの?結果的に、日本人がお国の為に死んでいく時代がまたやってきたとして、「笑の大学」みたいな映画は胸を張ってリバイバルされたり出来るんですかね。もし自分が徴集されたりした時に、「笑の大学」みたいな映画を見せられたら、アホかこのクソ映画ぐらい言いそうな気がしてしょうがないなぁ。機関銃を撃ちまくりながら日本の領土に侵入してきた征服者達に、全部あなたに差し上げますから苦しまないように即死させて下さいと懇願する人間には、私は絶対になりたくないぞ。そんな時代は絶対に来ないと、誰が保障してくれるって言うのでしょう。アメリカですか?一番何するか分からん国のような気がしてしょうがないんですけど・・・とほほ。自分の身は自分で守るしかない。これが現社会の個人の大原則ならば、それは国という単位であっても同じでしょう。そういう意味では日本国憲法は国が持つ憲法として破綻してますよ。身に降りかかってからしか何事も対処出来ないなんて、とてもナンセンスだし手遅れでしょ。いっその事、日本人全員に自動小銃を税金で配るっていうのはどうでしょう?少なくとも陰湿ないじめは減少するかもしれませんね。そして、拳銃による殺人件数はアメリカを遥かに凌駕するんでしょうね。考えたくはないけど、やっぱり日本人って、どっか変なのかもしれないなぁ。「馬鹿の壁」ならぬ、「日本人の壁」って本を出したら馬鹿売れするのかな・・・。
「笑の大学」 2004 日本
監督 星 護
主演 役所 広司 稲垣 吾郎

