Perfumeの音楽は、中毒を引き起こす効果を秘めている。私は購入していないので全曲について知っているわけではないが、多分ほぼ完璧に近いクォリティーを持った作品に仕上がっているのではないだろうか?日本のポピュラー・ミュージック史上に、また一つ歴史的名盤が登場しました。と、邦楽のCDを2、3枚しか持っていない私が言うのもどうかと自分でもちょっと思いますが(笑)よく知られる数曲だけを聴いても、とにかくとてつもなくPOPであるのは間違いがない。MTV他で連日のように流されるPVについつい目が・・・。特に「チョコレイト・ディスコ」と「シークレット・シークレット」の二曲は凄まじい。誰かCDプレゼントしてくれないものだろうか?欲しいなぁ、聴きたいなぁ、と切実に思う今日この頃である。だったら買えばいいじゃんと当然人からは言われてしまうわけだが、それはそれどうしても自分で金を払って買う気はしない。
そもそも私はここ数年間、ほとんどCDを購入しない生活が続いている。物に対する興味というのが、何故か突然私から失われてしまったからだ。それまではとにかくCDコレクターだった私は、CDショップだけでは飽きたらず、中古盤屋から怪しい海賊盤ショップまで足繁く通っては、大枚はたいてCDを買い集めていたものだ。今では不思議で仕方ないが、とにかく買い集める事が無上の喜びであったわけだ。これはやたらめったらブランド品を買い集める人にも通じるものなのかもしれない。とにかく一回聴いて、これはつまらんと以後全く蓋を開けないCDすらたくさんあった。勿体無い話である。我ながら、馬鹿だったとしか言いようがない。正直、今その処分に頭を悩ませていたりもする。全部パァーと捨ててしまえばいいのは分かっているが、中には愛着のあるアルバムも少なくない。もともと好きな音楽だったのだから当たり前である。今でも当然好きな音楽でもある。最近ではコンポがいかれてしまったので、埃まみれのPS2がほそぼそと音楽再生機として機能している始末。本に関しても同様だ。名残りとして某中古本屋で100円の本を買っては溜まったら売るという行為が私にはある。しかしこれらの本は、別にどうしても欲しくて買い集めているわけではない。たまに本好きだねぇとか言われる事があるのだが、私は答えに困る。正直、本が好きなわけでは全くないからだ。本は私の時間潰しの道具として機能している。電車での移動中とか、ちょっとした空き時間を埋める方法として、私はたまたま本を選んでいるだけだともいえる。実際、本当に読みたい本というのは、某中古本屋ではまず手に入らないし、そういう本にしても買うのを控えたり、図書館にあるのであればそれが一番だとさえ思うのだ。大体何度も何度も読み返す本など、世の中にどれだけあるというのだ?本もまた一時の時間潰しの手段でしかない。なんかもう死んじゃうみたいだな、怖い怖い。
私達は一人の例外もなく、限られた時間しかもたされていないわけだ。生まれた瞬間から死を迎えるまでの時間の長さは人それぞれだが、限られているという点では誰もが一緒なのだ。最近また同じような手段で自ら時間を止めてしまう人が後を絶たないようだが、これは実に勿体無いなぁと私は考える。この先どんだけ生に執着したって、たいしていい事はないよ。それは全くその通りだとは思う。けれどついつい笑わずにはいられない出来事も、これは必ずあるわけだ。しかし、それにはどうしても必要なものもある。それは人ではないだろうか?自分以外の誰か。ごく近くにそういう人がいないのであれば、世界中逃げ回ってみるのはどうだろう。この世界には何十臆という人間がいるわけで、一人ぐらいは絶望しているあなたを笑わせてくれる人がいるのではないか?もちろん、これは現実的な話ではないのかもしれない。金がなければ生きて行けない(何も出来ない)社会というものが肥大化すればするほど、人間の生は窮屈になっていってしまう。食料自給率が非常に低い日本という国は、その一点だけ見ても、はっきり言って人が生きていく社会としては失敗作以外の何物でもない。私達は外見だけみれば世界でも例がないほど裕福なのかもしれない。ではその内面はどうなのか?何でもあるというのは、何もないのと同義であるわけだ。私達は道を間違えた。今更姑息なその場しのぎを繰り返す政府に、どれだけの人が明日を夢みる事が出来るのかは定かではないが、その亀裂はいつだって末端から少しづつ表れてくるものだ。痛風は苦しいよ。もう歩けないくらいに痛いわけだから。自ら手を下すのが怖いから、他人をあやめて然るべき機関で処置してもらうなんていうのは言語道断である。しかし、一億分の一の例外とは、絶対に思ってはいけないのだろう。大きな病とは時に気づいた時には手遅れという場合が多々ある。それは常に深く静かに進攻していくものだからだ。腐ったみかんの方程式は、長髪のがにまた教師が闊歩する世界にだけ通用する定義では毛頭ない。エコロジーにしてもそう。エコだエコだって世間はやかましいが、本当に皆がエコロジーの大切さに気づいた時は、遺憾ながら人類が滅びる事が明らかになった時でしかないと私は思わずにはいられない。京都議定書にしたって、第三国で技術を提供してCO2を削減した分もポイントとして加算しましょうみたいな、ああいうインチキはいい加減やめたらどうなのかね。ガソリンの値段が上がるの下がるのって右往左往しているのも、目に見えるものにしか興味がないとしか思えない。政治家で一人ぐらい、業務用以外の乗用車は全面禁止にしますぐらい言ってもいいんじゃないの?自動車産業が崩壊するって?何万何千人が路頭に迷う?上等じゃないですか。国民全員の税金を収入の半分にでもして救済してあげましょうじゃないか。それぐらいの覚悟は当然必要じゃないの?という話である。常識の範囲内だけで話をしろというのは、時に人の可能性を大幅に削減してしまう場合だってあるのだ。
最近の日本の流行歌を耳にすると、一昔前のポピュラー音楽の存在を意識せずにはいられない。この世は大いなる円環によって成り立っている事の証明でもあろうか?単純にプロデューサー連中の好み(自らの音楽体験も含め)が露出しているだけかもしれないが、とにかくどこか懐かしい響きを感じずにはいられない。Perfumeの楽曲にも、明らかにそれはある。どの世代がこのグループを支持しているのかは定かではないが、もしかしたら30代以上の人こそが秘かに盛り上がっているのではないかと、ついつい感じてしまうのである。温故知新的なアイドル臭がどうしても離れない。日本にもかつてテクノ歌謡が流行った時期があった。沢田研二の「TOKIO」やジューシーフルーツ、イモ欽トリオの「ハイスクール・ララバイ」なんてのもあった。アメリカのハウス・ミュージックから派生したテクノの波は、日本では歌謡曲と密接に結びついた。日本のテクノは世界とは隔絶した部分でのみ進化したと言っても過言ではないのかもしれない。Perfumeはそのテッペンに突如として浮上したわけで、可愛らしい若さ溢れる女の子三人組というのも、いかにも日本らしい。この音楽の心地よさは、実はこの女の子達にプラスになるのかどうかは微妙である。誰もが薄々気付いているに違いないが、この音楽はこの三人でなければならなかったという部分が希薄だ。これだけの完成度を示してしまうと、次のハードルはあまりにも高いという現実もある。過去を振り返っても、こういう売れ方をした場合は短命に終わってしまう事例が多いので、Perfumeというグループ自体のファンである人はこれから大変かもしれませんね。頑張って支えて上げてもらいたいものです。もっとも、この間某歌番組で拝見した時には、随分とまぁキャラが立っていたので、実は得体の知れないポテンシャルを帯びた三人なのかもしれません。エコロジー関連のCMがきっかけとなって売れたわけですし、どうせならエコロジーとは何かを世界に知らしめるミューズにでもなって頂きたいものです。エコロジーは短命なブームでは決して終わらせてはいけない、人類の命運を賭けた問題であるわけです。エコが単なる金儲けの道具にしかならないのだとしたら、悲しいよねぇ。人間ってそんなもんですか?
「 GAME 」 2008 日本
歌と出演 Perfume

