よく分からないけど、何となく最後まで飽きもせずに観てしまう映画というのがあるが、「4」は久し振りに出会ったそんな感じの映画であります。監督はイリヤ・フルザノフスキーという人らしい。知りません。全く知りませんねぇ。って、長編デビュー作らしいです。世界の映画界から注目を浴びるロシアの新星かぁ。それはまた凄いなぁ。ロシア本国では上映禁止になったが、世界中の国際映画祭で新人監督賞を受賞したと書いてあります。大変仰々しい感じがします。それにしてもロシアというのは変わった国ですよねぇ。本国では禁止でも他国では良い(のかどうかは分からないが、少なくとも上映はされる)という作品がやけに多くありませんか?一体ロシアではどんな映画が連日上映されているのでしょうか?大変興味があります。アジアの国々では、結構アメリカ産のドンパチバリバリ映画が実は人気があったりするように、ロシアでも主に上映されているのはハリウッド印ばかりだったりしたらそれはそれで面白いですねぇ。というか、ロシアにおける映画のポジションというものは果たしてどうなっているのでしょうか?謎ですねぇ。映画なんかよりバレエやサーカスの興行を観る方がポピュラーだったりしたとしても、私なんかはさもありなんと納得してしまいそうであります。う〜ん、考えれば考えるほど不思議でなりません。やっぱりロシアは、まだまだ近くて遠い国なんですねぇ。そんな事をしみじみ感じさせてくれます。
ロシア(かつてのソヴィエト連邦も含めて)映画といえば、誰でも思いつくのがアンドレイ・タルコフスキーなわけです。何だかんだ言っても、映画好きであればこの人はある種通過点(人によっては終着点)であるわけでしょう。ここ日本でもタルコフスキーという名前は、水戸の御老公の印籠に近いものがあります。私も若かりし頃ちょっとはまってしまった覚えがあります。とにかく片っ端から観ていましたねぇ。何よりも押し付けがましくない所が素晴らしいですね。タルコフスキーの映画を観る喜びというのは、たまの休みに散歩に出かけて近所の土手に腰を据えて川の流れをぼんやりと見ている時の充足感に似ています。「鏡」以降の作品群は特に、単純明解な寓話としての側面が陰を潜め、月並みでありきたりな(映画としてそれは必ずしもマイナスとは限らないが)感情操作を促される事を期待して観てしまうと肩透かしをくらう場合もあるのだろうと思われます。言い換えれば、より{自然}に近づいた映画とも言えます。深い森に足を運んで、森の木々達に{お前ら、何考えてんだかわかんねぇよ}と怒る人がいたとしたら、それはやっぱり変ではないですか?強風に傘を折られて、{お前、何しとんじゃボケぇ}と口走った時に、風が{えろうすんませんなぁ}と答えてくれる事はありえないのです。{自然}は、いつだって何も言ってはくれません。私たちがそこから何を感じるかは、一人一人の心の囁きでしかないのでしょう。無論、タルコフスキーにも自身の確固たる思考はあるのでしょうし、それがあるからこそ力強い映像が生まれているのは間違いありません。が、タルコフスキーは決してそれを押し付けないのです。タルコフスキーをして難解だという意見には、従って私は賛成しかねます。例えば、タルコフスキーの作品に頻繁に登場する{水}の描写についても、人々はそこに意味や象徴をはめ込もうとしてしまいがちですが、タルコフスキー自体はそれについて何の意味ももたせてはいないと答えています。自分が育った地域は雨が多かったので、場面に雨が降っているとしても私の中ではそれが自然なんだというわけです。考える前にまず行動。頭で考える事は無限の蟻地獄に陥る事もしばしばです。自分なりに何となくこう思った。それでいいのではないでしょうか?百人の人間がいたら百人の捉え方があってしかるべきだと私は考えます。それが人間であり、それが自然の姿です。芸術とはある特定の人だけに与えられた特権ではないはずです。まだタルコフスキーを観た事がないという人がいたら、ぜひとも観て頂きたい。特にどれがお勧めというのも、私にはありません。タルコフスキーに関しては、どれを選んだとしても間違いはないでしょう。それがタルコフスキーの巨匠たる由縁に違いありません。作為的に難解さを圧しだした様な下衆な作品も最近はありますが、そんなものとはレベルが違う心地よい優しさが、タルコフスキーの作品には溢れています。
そして、期待の新人フルザノフスキーは、タルコフスキーと同じ学校の後輩として映画の基礎を学んだようです。もちろん時代も違えば(もう国名からして違うし)育ちも違うわけで、別にタルコフスキーの後継という感じは、その作品からは微塵も感じられません。何というか確実に映画映画しています。他国の映画も、以前とは比べ物にならない位鑑賞が出来るようになったのでしょうか?何となくかつてのソヴィエト映画にありがちな独特な雰囲気もあまり感じられません。こんな所にも世界のグローバル化の兆しは表れているのかもしれません。それが良いのか悪いのかは、微妙な所ではありますが。
「4」という映画を包んでいる空気は、とても重たいものがあります。登場人物全ての目が、とにかく深く澱んでいるようにさえ見えてきます。私はここにフルザノフスキーという人の若さを感じずにはいられませんでした。まぁ実際何歳なのかは知りませんが、きっと30前後なのではあるまいか?フルザノフスキーという人は(勝手な推測ですが)きっとロシアという国から、一刻も早く抜け出したいのではないのでしょうか?ドイツから抜け出してハリウッドで{これがハリウッドだ}的作品を嬉々として連発する、ローランド・エメリッヒとは当然違う意味でですが。もしこの映画で描かれているモスクワの街が、実際のモスクワの空気を忠実に再現してしまっているとしたら、私だったらやっぱり逃げ出したい気分になりますね。だから上映禁止なのでしょうか?ロシアって、そんなにやばいのか?三人の登場人物は、それぞれ絶望と悲しみを見事に体現しています。この生活、どうにかならないのと、心の叫びが痛いほど伝わってきます。この監督は、もう間違いなく実力がありますね。深夜のバーに見知らぬ三人が偶然顔を揃えて、お互いの素性を隠してホラを吹きまくる導入部から、それぞれのその後の結末まで、特に大きな起伏があるわけでもないのに飽きさせる事もありません。その各々の結末もまた、この映画に一貫して流れる雰囲気を見事に表現しています。お先真っ暗だけど、映画は逆に能天気に俺が俺が的な感じに溢れている日本とは全く違うのりですな。これがお国柄というやつでしょうか?とにかくこの映画を観てしまうと、ロシアの他の映画がもっと観たくなってしょうがないです。もしかしたらフルザノフスキーだけが究極のネガティブ君なのか、それともロシアの映画監督全員がもうどうしようもなくネガティブ君にならざるを得ない状況なのか?事と次第によっては、これは由々しき事態なのかもしれません。まぁ個人的には、遥かに我が国の方が心配ですけど。そうではないか?
「 4 」 ロシア 2005
監督 イリヤ・フルザノフスキー
主演 マリーナ・ヴォフチェンコ セルゲイ・シュヌロフ
ユーリ・ラグータ

