「ハリー・ポッターと賢者の石」や「ロード・オブ・ザ・リング」の大ヒットがもたらしたファンタジー・ブームも、最近では急激に冷え込んでお寒い状態になりつつあるようです。熱しやすく冷めやすいというのは、人間のごくごく普通の感情の機微を表す言葉と言えます。私はこの手の映画も昔からせっせと見続けてきた一人ですが、実はこの二大ファンタジー・シリーズにはどうも熱くなれなかった口なのです。「ロード・オブ・ザ・リング」を最初に観たのは、飛行機の中だったのを憶えています。ちっこい画面にイヤホンで観る壮大なファンタジーは、単なる時間潰しにもならないと思わせる程、私を退屈させました。無論、劇場の大画面で鑑賞したとなれば、映画の印象も天と地ほど変わっていた可能性は十分にあるのですが、結果として私が「ロード・オブ・ザ・リング」三部作を劇場で観る機会は一度も訪れませんでした。もともとトールキンの「指輪物語」を読んだのは、私が中学生の時だったと記憶しています。字がちっちゃくて、おまけに翻訳がどうも好きになれなくて、この長大な冒険小説は私を何度も何度も挫折に追い込んだわけで、苦労して読み終えた後に本を投げつけたんじゃなかったろうか?{読んでやったぞ、この馬鹿野郎}状態であります。内容がどうのこうのという問題では既になかったわけで、私はそれ以来「指輪物語」は避け続けてきました。世界中でチャールズ・ディケンズなんかとタメを張る程のこの人気小説が、ここ日本ではあまりフューチャーされていないのは、私は翻訳に問題があると思っています。小説に限らず海外の物を日本に紹介するには、この翻訳という問題は切っても切れない間柄であるわけで、それによってどんだけ優れた物が屑に変化したのかを思うと、なんまんだぁなんまんだぁであります。このように{出会い}というのはその後の人に及ぼす影響はもの凄く大きい。人間同士の間でも、初対面での印象が全てを左右してしまう場合が当然少なくない。一目惚れでポーッとなってHしちゃったらすぐ捨てられて泣いたとか、生理的に嫌とか言ってたのに長い事知り合っている内になんか離れられなくなったとか、ドラマ同様ありえない事が平気で起こるのが実人生の面白い所で、ここで重要なのは初対面が良かろうが悪かろうが結果は決まらないという一点に尽きる。世の中決して諦めてはいけないのではないか?ただし一つ言えるのは、中途半端はダメだという事。悪ければ悪い程、良ければ良い程、その結末も劇的になるというものです。ごく普通というものは、最初から最後まで空気のように誰からも忘れられる薄〜い存在でしかない悲しい印象しかもたらさないものなのです。みなさん、もっとはじけて人生生きてみてはいかがですか?まぁそれはそれとして、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作は、やたらめったら長くて飽きるという点を除けば出来自体はそんなに悪く言う程のものでもなく、暇なら観たらええんちゃう的な映画として私の中では地位を確立しています。
一方、「ハリー・ポッター」シリーズは、二本目で確か観るのを止めてしまいました。もうとにかく{つまらない}というより{くだらない}映画としか、私には思えなかった。これは映画の出来がうんぬんというよりも、多分に個人的な嗜好性が問題なのかもしれません。実を言うと私は「オズの魔法使い」も「E.T.」も、{観ちゃいられない}と途中で思ってしまった人種なのです。「E.T.」なんかは、スピルバーグの最高傑作の一本と誰かが持ち上げても私は納得します。万人に好かれる映画の最良の部分を集めた、とてもよく出来た映画だと思う所もあるからです。「オズの魔法使い」も音楽は素晴らしいし、とにかく場面場面が愛らしく、心に残る映画100本のリストの常連であったとしても当然でしょう。この映画を好きという人に悪い人はいないのではないか?とすら思ってしまいます。けれど、いざ観るとなると退屈なんですよねぇ。これはもう理屈じゃないです。「ハリー・ポッター」シリーズはまだ続いているのでしょうか?小説はもう完結したんですよね?というか、いまだに熱狂的なファンというのが日本に存在しているのでしょうか?まぁ当然いるのでしょうね。私がいまだにRAINBOWというロック・バンドを支持しているように、「ハリー・ポッター」に血眼になれる人もいて然るべきです。お互い頑張りましょう。宮崎駿の最高傑作は「となりのトトロ」だと知っているのに、「もののけ姫」が最高だと自分を押し殺して人には言ってしまう人みたいにはなりたくないものです。そうではないか?好きなものは好き。それは全然恥ずかしい事ではありません。世の中何事もお互い様ではありませんか。
で、「エバーラスティング 時をさまようタック」は、個人的には割りと好きな映画です。相変わらずの邦題のアホさ加減には吐き気さえしますが、その恥ずかしさを抑えても観て欲しい映画の一本でもあります。映画が始まると同時にディズニー・ピクチャーズとでっかく出てきますので、そこでかなり落胆される方もいると思われますが、そこもぐっと我慢しましょう。というか、ディズニー映画にも名作はごまんとあるわけで、これもこちらの勝手な先入観でしたね。どうもすいません。幾多のディズニー映画同様、そこにディズニーと表示されているからには、この映画にも当然かなりの制約が含まれているわけで、物語自体も映像表現的にもかなり{ベタ}な作品ではあります。まぁしかし、笑いのネタでもそうなんですが、{ベタ}というのは私は必ずしも悪い言われ方ではないのではないかと思います。だって、みんなが基本的に大好きだからこそ{ベタ}なわけでしょう?専門家チックな人達が、お前のギャグは{ベタ}なんだよと知ったかぶりして若手を批評したりしますが、あれはどうなんでしょうねぇ?{ベタ}だから新鮮味がないとか驚きがないとかいうのは、個人的には的外れだと思うのですが。映画にしてもそれは同じ事なのではないでしょうか?それを言ったら、映画なんてもう何十年も同じ事の繰り返しでしかないわけです。こんな映画今までなかったとか、そう思った人がいたとしても、それはただ自分が知らなかっただけで、実際には探せばあるわけです。映画の面白さとか善し悪しというのは、本来そういうものとは別の位置にあるものです。
かつてあの藤子・F・不二夫氏が自身のSF短編マンガに対して、このSFとは{少し不思議な}の略ですと申しておりました。いやぁ目から鱗ですね。私がファンタジーという言葉に抱いていたイメージとは、まさにそれで別に{夢と魔法の世界}だけがファンタジーではないわけです。「ロード・オブ・ザ・リング」のような異世界の戦争映画も、「ハリー・ポッター」のようなマジカルな青春映画もいいですけど、よりファンタジーを感じるのは本来「エバーラスティング」のような映画なのではないでしょうか?テイスト的にはリチャード・マシスンの原作を映画化した知る人ぞ知る(少なくともかつてはそうでした)「ある日どこかで」的な雰囲気を持ったこの映画は、映像に優しさが溢れているようです。どこにでもある世界に不老不死の家族がいました。ただそれだけの舞台設定に、淡々とした物語が紡ぎだされているだけの映画ではあります。それこそ凡百と存在する超能力者の悲哀であるとかと、全くもって逸脱する部分のないありふれた映画として片付けられても仕方がない映画なのかもしれません。{死を恐れるのではなく、無意味な生を恐れなさい}という言葉は、それこそロメロが「ゾンビ」で描いていた主題ともリンクします。これは、今私達が現実に突きつけられている人類の問題にも直結する提示でもあります。
ファンタジーという言葉の本当の意味は、誰もが心の中に隠し持っている小さな思いなのではないでしょうか?誰かによって癒されたとか、誰かによって優しくなれたと感じた瞬間、私達はその人に魔法をかけられたのに違いありません。そしてこの「エバーラスティング」という映画も、あなたの心に小さな小さな温かさを運んでくれるはずです。
「エバーラスティング 時をさまようタック」 2002 アメリカ
監督 ジェイ・ラッセル
主演 アレクシス・ブレデル ジョナサン・ジャクソン

