謎というのは、人を引きつける重要な要素である。時に魅力的であり、時に畏怖さえ覚えるこのキーワードは、映画の題材に於いても常に巧みに利用されてきた。映画が何故これほどまでに愛されているのかの答えも、つまるところここに集約されるのかもしれない。では、映画が最も語り続けてきた謎はなんなのだろう?それは人間の心に違いない。他人の心はおろか自分の心さえ正確に読み取る事が出来ないもどかしさを、私達は日々の生活の中で幾度となく体験させられている。知らないからこそ知りたい。分かったような気もするし、ますます分からなくなっていくような気もする。人間の心とは、人類にとっての永遠の、そして最大の謎である。映画百年の歴史は、その事を雄弁に伝え教えてくれる最良のテキストに他ならない。
毎日のニュースを見ていると、この国はよく潰れないものだなと妙な感心を抱いてしまう。これだけ明白に「貧乏人はさっさと死んでくれ」と繰り返し繰り返し叫んでいる政府というのは、世界にも、否、世界の歴史を振り返っても珍しいのではないだろうか?その政府を支えているのは、日本人と呼ばれる私達国民なわけだ。この数年で国民の意識は変化したのだろうか?私の知り合いの中には、自分の給料明細を確認しないという人が何人かいるが、ここ数年でどれだけ控除される金額が増えているかというのもどうでもいい事なのだろうか?まぁそれが本当に私達自身の為に役立っていると確信がもてるのならば、更に税金が倍増したからといって文句を言う筋合いではないのかもしれない。どう考えたって、今の何倍も税金を払わなければ、私達の未来の安心はもう得られようがないのは事実なのだから。けれど極論で言えば、私達は「払うもん払ってさっさと死んでくれ」と言われているのに(一部の裕福な国民の方々には当てはまらないだろうが)等しいのではないか?何故こんなにも日本という国は冷静かつ平穏に毎日が過ぎていけるのだろう?どこかの国で公然と人権侵害を受けている民族がいたとしても、別にそんなの関係ねぇというのは分からなくもない。何故ならもう何十年も日本人はそうやって生きてきたのだから。今更子供の頃から植えつけられてきた思想?が、そう簡単に覆ると思うほうが不思議だ。来る十年後、この国がどうなっているのかは考えたくもない事ではあるが、食料もない資源もない生きがいもない何にもない何にもない全く何にもないという事態に直面して初めて、これってやばくねぇと気づくほど馬鹿にはなりたくないものだ。と言いつつ、それが人間なんだよなぁと教えてくれるのもまた幾多の映画が示す人間の姿であるのも忘れてはならないのだろう。なるほど人類の歴史を顧みてみれば、それは遺憾ながらとほほな現実の連続でもあるわけだ。人類は生れてからこのかた、アホでなかった試しがないのかもしれない。これほどまでの進化を遂げた人類が、いまだにお馬鹿で居続けているのは究極な謎と言えるのかもしれない。もちろん、お馬鹿だからこそ人生は楽しいというのも紛れもない事実・・・、なんだよね?
さて、「サークル」はクロップサークル(日本ではミステリーサークルという呼び名が定着している)についてのドキュメンタリー映画である。70年代から90年代にかけて大変な話題をさらったこの世界の謎は、現在では人為的に作成された物であるというのが通説になっている。自分達が作った物に対して、英国政府が税金を投じて調査を開始すると知ったダグとデイヴの二人が、そんな事に大量の税金が使われるのは忍びない(さすがイギリス)と正体を明かしたという顛末をご存知の方も多いのではないでしょうか?実際この二人組の老人が、正体を明らかにした後に秘密裏に作成したクロップサークルを、サークル研究家達がこぞって本物と判定したという後日談もある。現在では無数のサークル作成グループの存在も確認されており、クロップサークルは表向き世界の謎から省かれてしまうという憂き目を負っているようだ。これは最も世間の注目を浴びていた90年代と比べて、最近ではめっきりその出現数が激減している事実からも信憑性が高い。ようするに誰も騒いでくれないものを作っても、面白くもなんともないという人間の心裏の表れでもあるわけだ。日本でも一時期はニュースにまでなっていたのを覚えている人も少なくないだろう。今ではCGによるインチキ映像と判明している{サークル出現の瞬間を捉えた映像}は、特別番組まで組まれたものである。その手の番組にやたら顔を出す某大学教授は、サークルはプラズマ現象による自然現象であると実証してみたりした事もあった。これはこれで見事にプラズマによるサークル形成の可能性を示したものであり、プラズマ説と悪戯説で、現在までに確認されているほとんどのサークルは解明されるとするのも分からなくもない。ただし、何事にも例外は存在する。サークル研究者にもまだ一縷の望みは残されているようだ。自然現象なのか、人工的な産物なのか、E.T.によるメッセージなのか、はたまた大国の兵器実験によるものなのか?いやぁ、人間って本当にいろんな事を考えるものではありませんか。このどうでもいいような事に一生を捧げる狂気ともいえる熱意が、人類の歴史を楽しくもし、お馬鹿にもしている要因である。しかし忘れてはいけないのは、こういう一見常識外れな想像力が、人類の未来に多大なる貢献をもたらしてきたのは、枚挙に暇がない事実であるという一点だろう。今の日本人はどうだろう?どんなに人から後ろ指を指されようと、突拍子もない自説を懸命に信じて努力を惜しまない人物は、一体どれだけいるのだろうか?それがたくさんの人を騙し、巻き込み、金儲けの道具にして、悲しい事件を引き起こす負の要素と化す側面を持っているのも確かではあるが、今そこにある常識の範囲内だけに留まって生きる事は果たして人類の未来に何をもたらすのだろうか?
日本の悲惨な現状は、常識の停滞による弊害なのかもしれない。あまりにも自己の現状に固執するあまり、人々は人としての成長を拒絶しているのではないだろうか?今が一番幸せであると、誰が言えるというのだ?常識とはいつの時代も多数決であるという事実は、同時に人には常識を覆す力がある事を示している。人間とは本来お馬鹿な生き物である。だからこそ人間は愛すべき生物足りえるのではないか?人間は常に不完全な生き物である。だからこそ人間は、明日を夢見て生きていけるのである。
「サークル」に出演する人々は、かなり一方的な理想に目を向ける人々の集合体であるのかもしれない。彼らは大いなる存在の知性を感じ、人間の未熟さを語り、人類存続に向けてのメッセージをそこから感じとっているようにも見える。それは困った時の神頼みにも似てはいないだろうか?人類の未来を変えられるのは人類だけである。そうではないか?勝手に繁栄して勝手に滅びていくような愚者達に、宇宙の高度な知性を持った者達が関心を示すとは私にはどうしても思えない。人間にとって、蟻は蟻でしかないではないか。サークルが教えてくれるサインとは何なのか?自分のケツは自分で拭きなさい。まぁいいとこ、そんなもんなのではあるまいか?
「サークル」 2002 アメリカ
監督 ウィリアム・ガゼッキ
出演 ミステリーサークルにとり憑かれた愛すべき人達

