まず驚かせられるのは、入場者数の少なさではないだろうか?映画館ってこんなに閑散としてたかなぁと、目がぱちくりしてしまった。映画という媒体の衰退はもはや留まる所がないように思われる。ここ数年、日本産の映画が大変人気があるという情報を目にする機会が増えているのだが、これが映画館というものの価値を著しく低下させているのは想像に難くない。一方、家電量販店に足を向ければ、大画面大画面と実に景気がいい。ちっちゃい家に住んでいる事の反動なのだろうか?家庭で自分なりの創意工夫によってミニシアターを完成させて楽しんでいる人も少なくないようだ。映画を鑑賞する場として、映画館よりも自宅を選択する人が増えてきたという事か?あまりにも人間が増えすぎてしまった結果、誰もが不特定多数の人間に拒否反応を示すようになって久しいが、また一つ大きなコミニュケーションの場が世界から姿を消すのかもしれない。もはや入場料金を単純に下げるといった程度では、この状態を打破するカンフル剤にすらならないのだろう。人はいつだって失ってからでないと、本当の価値に気付かない生き物なんだね。
そんな感じなので、上映開始からまだ間もない「クローバーフィールド」という話題作を、実に優雅にゆったりと鑑賞する機会を得た。巨大なスクリーンを、両手両足の指で数え上げられる程の人数で貸切状態である。この手の映画の鑑賞に際して、それなりの人数による熱気と猥雑間がもたらす効果というものもあるわけで、少々寂しい気分すら覚えるのだから我ながら勝手なもんである。ミニシアターとかで満員の中の鑑賞は、怒りすら覚えるのにねぇ。何だかなぁ。やはり人間には適度な空間というものがあるのでしょうねぇ。
「クローバーフィールド」は怪獣映画である。この紹介の仕方は、正しいとも言えるし間違っているとも言えるでしょう。何故なら、この映画は怪獣が出現しなくても成立する映画だからです。巨大都市がパニックになるという状態さえ再現出来れば、それこそ自然現象でもテロリストによる破壊活動でも宇宙人襲来でも何でもいいわけです。「ゴジラ」という怪獣映画の金字塔を生み出している我が国では、むしろ飽きられて久しい題材とも言えるでしょう。実際、アニメやらマンガやらで、同じようなシチュエーションを私達は繰り返し繰り返し見せられています。思い返してみれば、日本という国は怪獣やら何やらにとにかく襲撃されまくっている国なのです。平和ボケなんて言葉が一昔前に流行りましたけれども、子供の頃からそんなものばっかり見せられてきた日本人という民族は、心のどこかで襲撃というものに慣れさせられてしまっているのかもしれません。その発端が大東亜戦争での敗北がもたらした結果だとはいいませんが、日本人はどこか突然の圧倒的な襲撃により壊滅しかかった状態から、不屈の精神(そのほとんどが愛と勇気に支えられています。言い換えれば目くそ鼻くそに支えられているわけです)で勝利を勝ち取るという話が大好きなようです。負けじ魂親譲り、でしょうか?そのせいもあってか、「クローバーフィールド」はここ日本では大した宣伝もありませんでした。要するに「またか」的な映画なわけです。
この映画の売りは、主人公グループが手に持っているビデオカメラの映像のみで全編を押し切るというスタイルで映画が成り立っているという、いわゆるモキュメンタリーというか偽ドキュメンタリーのスタイルで構成されている点にあります。それによる制約も随分とあるわけですが、とにかく徹頭徹尾それを貫き通した点は立派です。まぁ企画段階で、始めにそのお約束ありきだったのでしょうから、当たり前と言えば当たり前ではありますが、人間はついついちょっとだけ例外を作ってしまうものですし。従って、場面を盛り上げる音楽なども当然ありません。これは実は凄い事なのかもしれませんが、正直眠くなった場面も多々ありますし、とにかく単調と言えば単調な映画でもあるわけで、やはり極端な制約というのは一長一短があるのは否めません。ほとんど意味もなく小型の怪物がわらわらと出てくる場面もあるのですが、あれもあまりにも起伏がない映画の為に苦肉の策として出してしまったのでしょうが、私的には???です。あんなもの物語上全く必要がないものですし、安易に逃げずに不必要な物を出さないという決意のもと物語を進めて頂きたかったと思うのですがどうでしょう?最後に暴れている怪物をきっちりと映してあげるのも「ファンサービス」という点では当然なのでしょうが、一映画ファンとしては無くてもよかったカットだと思います。何しろ怪獣映画でなくてもいい映画なのですから。わけのわからないまま、わけもわからずに終わるというのも一興なのではと、ついつい考えてしまいます。それが通用する唯一のスタイルでもあるとは思いませんか?観ている方の中には、怪獣そのものの姿とかをきっちりと見せてくれないと納得出来ないと主張する人ももちろんいるでしょう。製作者サイドとしても、作ったものは人に見せびらかしたいという欲求はあって然るべきですが、そこをぐっと抑えて見せないものは見せないとした方がいい場面もあるはずです。今回の怪獣お披露目にも私は、ベッドインしたら分厚いパットに誤魔化されていたと気付いた瞬間のあの切ない気持ちを感じました。まぁどっちでもいい事ではありますが。どっちにしろやる事はやるわけだし。結果的には、それが満足度を決定的に左右するというものでも当然ありません。が、人間知らなくていい事というのは多々あるわけですよね。たまには、そうやって観客の見たい部分を徹底して見せない映画というのもありなのではないかと思うわけです。
新感覚・新発想のアトラクション型の映画という振れこみもあるようですが、もちろんそれは嘘八百です。この映画に新しい発想など皆無です。偽ドキュメンタリーの手法という点で「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」なんかを思い出した人もいるでしょうが、私はあの未曾有の大ヒットを記録した「食人族」を思い出しました。映画中映画という手法により、公開当初この映画はまるでノンフィクションのように錯覚していた(そう仕組んだのはもちろん配給会社の作戦である)人も多かったのではないでしょうか。未開のジャングルの奥地に行方不明になったジャーナリストをTVレポーターが捜索に行くというこの馬鹿げた話は、カニバリズムというある種のタブー(それ自体は人類の歴史上、何の目新しさも実はないが)を扱った点でここ日本では大いに観客を集めた。残酷・残虐・臓物ぐちゃぐちゃ映画が大好きな日本人の映画鑑賞の歴史においても、このイタリア製の悪趣味なエンターテインメント映画の存在は燦然と輝いているではないか。それに比べて、「クローバーフィールド」に客が集まらないのは何故か?時代も変わって人の意識も洗練され、誰もが品行方正に文明人としての自我を確立しているからか?もちろんそうではない。ようするに、「クローバーフィールド」は日本人にとってはもう飽き飽きした甘っちょろい映画だという事だ。この手のジャンルであれば、日本のアニメやマンガの方が遥かにグロテスクであり、ショッキングであり、えげつなく破廉恥極まりない所まで既に入っちゃってしまっているわけだ。恐るべし日本人。これは果たしていい事なのか悪い事なのか?その答えは既にちらほらと見え隠れし始めているのかもしれない。
願わくば「クローバーフィールド」が斬新で新しい発見に満ち溢れた映画だと感じる人が、ここ日本でたくさんいる事を祈ります。
「クローバーフィールド HAKAISHA 」 2008 アメリカ
監督 マット・リーブス
主演 マイケル・スタール=デヴィッド
オデット・ユーストマン

