DARK TALE OASIS

主に映像作品にふれて、思った事を書いていきます

伝説は遥か彼方に「アイ・アム・レジェンド」を思う

「I AM LEGEND」の三度映画化と聞いて、おぉぉと唸った人もいたのではないでしょうか?私もその一人です。お互い馬鹿ですねぇ。いいな、いいな、人間っていいな、なんて小林亜星の名曲を(最近カヴァーされてCMでよく聞きますが)思わず口ずさんでしまったりして、煙草に火を点けてちょっぴり自分を反省したりしているんでしょうか?それって別に悪い人生じゃなかったんじゃないなんて、誰かに添い寝して言ってもらいたい今日この頃ではないですか。やたら寒いし、やたら人恋しい冬の夜は、ムスコを叱咤激励してさっさと寝てしまうのがいいのではないでしょうか?
 三度の映画化がウィル・スミス主演だと知って、えぇぇウィル・スミスぅぅぅと唸った人もひょっとしたらいたのでしょうか?私はその一人です。正直、映画館に行ってまで観たくはないかなぁなんて、ついつい思ったりしてしまって。悲しみに出会うたび、あの人を思い出す、なんて思わず口ずさんでしまったりして、煙草に火を点けてちょっぴりセンチな気分になったりしているんでしょうか?人間の人生なんて、実際そんなに大きくかわりゃしないもんだよ、なんて、嘘でもいいから言ってもらいたい今日この頃ではないですか。
 リチャード・マシスンという作家の作品は、我が国ではある時を境に全く翻訳されない状況が随分と続いていました。日本におけるマシスンの評価は、もっぱら怪奇幻想譚を得意とする短編小説の名手というものです。或いは「ミステリー・ゾーン」や「事件記者コルチャック」「スター・トレック」といったTVシリーズで名前を見る脚本家の一人とか。ようするに、アイデア一発勝負の人的なイメージがつきまとう職業作家であるわけだ。子供のリチャード・クリスチャン・マシスンやクリス・マシスン、アリ・マリー・マシスンと、何故かみんなTVを主体にした脚本家になっているのがまず凄い。親の七光りはアメリカ合衆国において日本以上にパワフルであるというのもそうだが、リチャード・マシスンという人の知名度がアメリカでは思っている以上に高いのかも知れないと思わせてくれる点が凄い。マシスンと映像作品との蜜月は、センス・オブ・ワンダーを信条にしているという部分において相性がいいのは明白である。その最高峰が「激突」であるのは、誰もが認めるところではないでしょうか?新進気鋭の新人スティーブン・スピルバーグが、マシスンとの仕事で色めきたったのは間違いない。とにかく発想がまず素晴らしいマシスン作品は、「縮みゆく人間」にしろ「ヘルハウス」にしろ「恐怖と戦慄の美女」の第三話アメリアにしろ「ある日どこかで」にしろ、後々に与える影響が半端ではない。個人的にも、このマシスンの「地球最後の男」を読んでから、読書の趣味が一時期がらっと変わってしまったのを憶えている。私の読書歴においてターニング・ポイントになった作家は、日本人なら江戸川乱歩であり、外国人ならリチャード・マシスンだと言っても過言ではないのでしょう。「奇蹟の輝き」の翻訳出版以来、ぼちぼちとマシスンの作品が日本でも発売されるようになっているのは喜ばしい限りであります。
 そんな私でありますから、「アイ・アム・レジェンド」と言われればリチャード・マシスンの小説がまずありきで、今回の映画を観終わった感想が手放しでブラボーと言えないのは大方の予想に反しないのは当然の成り行きでしょう。結論からまず言ってしまえば、この映画でいう{レジェンド}とマシスンの小説でいう{レジェンド}は全くの別物であります。映画版では人類の救世主としてウィル・スミス扮する主人公が英雄的な伝説の人として後世に語り継がれるだろうという意味の{レジェンド}とされています。一方小説の方は、自分が信じてきた価値観やら常識に執着してきた主人公が、最後の最後で自分の方が既に常識外の存在であって自分以外の人々全員から存在するはずもない化け物と見られていると気づいてしまうという、まさに主人公自身が世界からドラキュラやらブギーマンやらゾンビと同じような伝説上の怪物という存在と同じ目線で見られているんだと認識するという意味の{レジェンド}なわけです。だからこそ「アイ・アム・レジェンド」なんですよ。このウィル・スミス版は、はっきり言って「アイ・アム・レジェンド」というタイトルに相応しい物語ではなくなってしまっています。それってただの俺様最高映画みたいじゃないですか。まぁウィル・スミスだけに、必ずしも間違ってはいないのだろうけれど、それとこれとは話が別なわけです。
 小説が表していた常識や価値観の不安定さが、いつ人間の存在を根底から叩き潰すかもしれないという恐怖が、この映画にはまったく生かされていないというより、端から描こうとされていない点が実に不満です。昨今腐るほど製作・公開されているアクション乱発のゾンビまがい(どれもこれもゾンビでは決してないのに、何故かゾンビと表現されるのは如何なものか?ちなみに原作はゾンビではなく吸血鬼だけど)の作品と、違いを探す方が困難です。この映画、製作する意味すらあったのでしょうか?
 この映画はジョージ・A・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の影が見え隠れしています。ロメロ自身が語っているように、「ナイト〜」はマシスンの「アイ・アム・レジェンド」にインスパイアされて製作されているわけで、変種の先祖がえり現象とでも言えばいいのでしょうか?製作の裏にここらで元祖登場みたいな狙いがあったのかもしれません。ロメロの「ナイト〜」及び「ゾンビ」の影響下で現在まで脈々と産み落とされてきた亜流のゾンビ(或いはゾンビまがいの怪物)映画に終止符をうつ決定打として、もの凄い利益をもたらすのではないかという金勘定がどうしても見えてきます。確かに無人のニューヨークにたった一人で生きている人間というキャラクターには、無数の類似品はあるにしてもまだまだ魅力的な要素は消えうせてはいません。実際、その面白さはこの映画にも端的に生かされています。一本の作品として観て見れば、可もなく不可もないという程度のよくある大作アメリカ映画であり、暇つぶしに観るのに丁度いい仕上がりになっています。そういう視点で見ると、さいとうたかをの名作「サバイバル」辺りを映画化するのはどうでしょう?日本人が作るとアホみたいな映画になってしまうので、ぜひアメリカで映画化して欲しいものです。「ドラゴンボール」なんて、どうでもいいじゃないですか。日本のマンガは幼稚だけどスケールはやたらデカかったりするので、現在のアメリカ映画界にぴったりなような気がしてなりません。
 結局の所、マシスンが描いた恐怖に匹敵するものは、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」という作品に最も反映されている気がしてなりません。だからこそ、「ナイト〜」はいまだに語り継がれる作品として君臨しているのではないでしょうか?容姿だけ一所懸命に模倣してみたところで、中身が何もないのではやはり人の心を捉える事は出来ないという証でもあります。少なくとも面白いと万人が認める映画にこそ伝説の称号は与えられるべきであり、私にはウィル・スミスに伝説を与えるほど広い心はないのであります。


   「アイ・アム・レジェンド」        2007     アメリカ
 監督  フランシス・ローレンス
 主演  ウィル・スミス        アリシー・ブラガ

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